「大きな声」だけでなく「小さな声」も掬い上げることは、沖縄戦の背景や全体像を解明する一つの手がかりとしても重要であり、それは将来、様々な教訓を後世に残すことにつながっていくのではないだろうか。
宮武さんは現在、第32軍参謀本部で高級参謀・八原博通の右腕だった最年少参謀・長野英夫少佐の夫人(今年1月に逝去)など、沖縄戦に関わった女性たちの「小さな声」を集めたノンフィクションを刊行すべく、執筆活動を続けている。
一括りにはできない沖縄
我々が持つべき視点
もう一つ、留意すべきことがある。それは、沖縄県といっても、とてつもなく広く、本島や宮古諸島、石垣島を主島とした八重山諸島には、それぞれ独自の文化や歴史があり、その延長線上に今があるという当たり前の事実を忘れてはならないということだ。
一例として挙げられるのが、「人頭税」をめぐる過酷な歴史である。
琉球王府はかつて、薩摩藩の島津へ年貢を納めるために、宮古・八重山諸島のある一定の年齢に達した男女に対して人頭税を課していた。これは収入などに関係なく一律に課され、人々は不合理かつ過酷な負担を強いられたという。「税を納めるだけに生きてきた」ともいわれた宮古・八重山の人々にとって、琉球王府(本島)に対するまなざしは、今でも複雑なものがあるといえる。
もちろん、すべての人が同じ認識であるとは限らない。
しかし、石垣島在住で沖縄戦も経験した山里節子さんに自衛隊・石垣駐屯地に対する思いを取材している時、節子さんが「私たちは琉球王府と本島から、長きにわたり搾取され続けてきた」と語ったことはそのことを象徴している。
つまり、同じ「沖縄県民」であっても、宮古や八重山諸島の人々の中には、一律に「沖縄県民」として括られることに違和感を覚える人もいるということではないか。
裏を返せば、それほど沖縄は多様であり、「沖縄=本島」という「ステレオタイプ」にとらわれ、単純化された視点で捉えてはならないということだ。沖縄の持つ豊かな多様性を、(特に本土にいる)我々は、もっと認識する必要があるだろう。
加えて、メディアも、政治家も、その「違い」を受容したうえで、様々な提言、政策を行っていくことが必要であろう。それは、沖縄のみならず、将来、多様性・多元性のある日本社会を実現させていくうえでも、大切な視点なのかもしれない。
一方で、今もなお、沖縄には様々な「矛盾」が存在している。そうした現実を直視し、これからのあり方を考えていかなければならない。
『出発は遂に訪れず』『島の果て』などの著書がある作家の島尾敏雄は、『新編・琉球弧の視点から』(朝日文庫)の中で、こう述べている。
「日本の歴史の曲がり角では、必ずこの琉球弧の方が騒がしくなると言いますか、琉球弧の方からあるサインが本土の方に送られてくるのです。そしてそのために日本全体がざわめきます」
この指摘は現下の情勢にも当てはまるのかもしれない。琉球弧から送られている(くる)〝サイン〟をどのように受け止めるべきか。かつて起こった「悲劇」を再び繰り返してはならない。
それを防ぐには、当然ながら、政治のリーダーシップが欠かせない。国民の生命・財産を守り、日本の進むべき道を示すことこそ、政府の責務であり、為政者に課された使命だからだ。戦後80年の今だからこそ、かつて琉球弧で繰り広げられた出来事に目を向け、沖縄の歴史の多様性や現在の課題、未来のあり方、そして、この国のかたちをじっくりと考える契機としたい。
