このプーチン大統領の「不老不死」発言は、習近平主席としては別に驚くには値しなかったと思われる。「ああ、やっぱり後継者はいないし、辞められる環境ではない」ということを確認できた、そんなところかもしれない。
しかし、そうなるとこれは高度な政治的腹芸になってくる。そんな中で、「不老不死などご冗談を、どこかで引退してリラックスされたらいいでしょう」などという返しをしては、「友好ムード」が一瞬に凍りつく。
そこで習近平氏としては、一番「当たり障りのない」戦術として相手が「不老不死に関心を示している」ことを素直に受け流すために、「技術的には150歳まで可能」というような対応になったのであろう。結果的に、プーチン氏の「当面は終身大統領」という権威、あるいは宿命を認め、傷つけず、当たり障りなく着地させたというところだろう。自分としても、当面は権力の集中を継続する中では、何の隙も見せずに済んだことになる。
中国政治として問題となる「不老不死」発言
だが、それでも中国の当局としては動画が出回ることを問題視した。それもかなり強く、「削除」だけでなく「使用不許可」にまで踏み込んでいる。そこには、中国の長い歴史が影を落としている。3点指摘してみたい。
まずは秦の始皇帝の晩年である。日本では若き日の始皇帝を描いた漫画と映画の『キングダム』が人気だが、やがて天下を統一した始皇帝は、不老不死を追い求めるようになる。特に日本に行けば不老不死の薬や食品が手に入るという噂を真に受けて家臣を派遣するなど、史書には具体的な記録が残っている。
けれども、結局は不老不死がかなわず、始皇帝は満49歳で亡くなる。史書にはその死を秘したというエピソードから、子の二世皇帝胡亥、三世皇帝子嬰があっけなく死に追いやられ、大帝国が瞬時に滅亡したことが語られており、中国人にはおなじみのストーリーである。つまり、巨大な帝国の絶対君主が不老不死を望むというのは、中国の歴史観においては極めて不吉なのだ。
さらに言えば、絶対権力者が不老不死を望むこと自体、後継者を養成して臣下を含めて自分の死後も王朝が継続するような準備を怠ったことになる。史家の評価としては、それだけで君主として一流ではないことの証明となる。
類似の例としては、他ならぬ中華人民共和国の創立者である毛沢東が挙げられる。晩年の毛沢東は、文革を進める四人組などから神格化されてしまい、判断力の衰える中で始皇帝のように不老不死を願ったという伝説がある。
華国鋒政権後期以降の中国では、毛沢東への評価は是々非々であり、全否定はされていない。けれども、その晩年については批判的な評価が定着しており、その中で不老不死を願ったというエピソードが語り継がれている。
