グローバル・サウスは、中国が超大国の地位に至ったならば、覇権国として振る舞い始める可能性があるのではないかと懸念している。中国のナショナリズムが反動的にならないかも懸念される。
中国が自らの超大国としての地位が安泰であると感ずれば、世界全体では多極秩序を推進しつつ、アジアでは中国中心の一極秩序を確立しようとするかもしれない。
大国間競争によって勢力圏が生まれることは、グローバル・サウスにとって以前にも増して困難な国際的な安全保障環境になる。米国が普遍主義を主張していたのに対し、中国は、政治の面でも、価値の面でも普遍主義を否定している。
そのため、世界政治において、多極なり、複数の秩序を志向し、これは、勢力圏の考え方につながる。そのように普遍主義を放棄していることは短期的には魅力的に見えるかもしれないが、長期的に見れば、グローバル・サウスにとって良い将来を予感させない。
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グローバルな視点と地域的な視点
一人はトルコ、もう一人はインドネシアと、有力な新興国の出身者2名による共著の論説である。議論の焦点は、グローバル・サウスにとっての米国と中国である。
米国についての記述は、特に新味のあるものではない。中国についての記述では、グローバル・サウスが中国に抱く警戒感は興味深い。
グローバル・サウスが中国に抱く警戒感は、グローバルな視点と地域的な視点に大別されよう。グローバルな視点については、中国が経済大国であり資金の提供国・貸し手の国としての性格を強めるにつれ、貧困国であり資金の受領国・借り手の途上国と利害対立が大きくなる問題である。
中国は途上国の一員として振る舞ってきているが、その矛盾は時を追う毎に大きくなってきている。中国の成長が減速するにつれて、資金面で鷹揚に構えることが難しくなることも、そうした矛盾拡大の要因となる。
地域的な視点からの懸念については、二人の著者は色々な角度から論じているが、その核は、中国が「世界全体では多極秩序を推進しつつ、アジアでは中国中心の一極秩序を確立しようとするかもしれない」との点にある。東南アジアの国の視点からすれば、中国から各種の支援や協力を得られることは有難いが、中国がアジアを自らの勢力圏とし、覇権国として行動することは避けたい。
