さらに、自衛権を行使した国は、憲章51条に従って、とった措置について安保理事会に直ちに「報告」する義務があるが、右のような場合、日本国政府は、「日本に対する攻撃はなかったが、個別的自衛権を行使した」と安保理に報告することになる。国際法違反を自認するようなものである。
拡大画像表示
言うまでもなく、個別的自衛権だけで、つまり自国だけで、その安全を守ろうとすれば、膨大な軍備の増強が必要になる。個別的自衛権だけに頼るのではなく、端的に「集団的自衛権の行使」の可能性を真正面から認め、米国あるいはその他の「密接な関係」にある近隣各国と連携して日本の安全保障を確保していく方が、法的にはもとより、政策的にも、どれほど実効的であるか、冷静に考慮する必要がある。
国内法の対抗力・抑止力
これまで述べてきたように、集団的自衛権の行使を認めるか否かは、憲法9条の解釈に関わる問題であり、9条が自衛権について何ら明文規定を置いていない以上、憲法改正の必要はもとよりない。日本政府は戦後これまでの間に数次の憲法解釈の変更を行ってきたのであるから、それにならって新たな解釈を打ち出せば良い。もちろん、その解釈変更には国民の強い支持がなければならないことは言うまでもないが、本件に関する限り、最近の北朝鮮や中国の動きもあって、第1次報告書が出された6年前以上に、この解釈変更には強い支持が寄せられているものと思われる。
「解釈の変更」を「解釈改憲」などと短絡する思考は、到底受け入れられるものではない。
政府が解釈の変更を表明したからと言って、すぐに集団的自衛権の行使ができるようになるわけではない。それを実施するための具体的な国内法の制定が必要である。とくに、自衛隊法の改正は不可欠である。望ましくは、その前に、安全保障基本法を制定して、右の解釈変更を定着させる必要があろう。