私は大学入学以降、30年以上かけて中国研究を行ってきたが、ここ数年、中国の言論・思想の統制と経済状況の悪化は相当深刻なレベルにまで達していると強く感じる。監視や検閲は隅々にまで及び、5、6人で社会問題について読書会を組織するだけでも、警察が尋問にやってくる。バーやカフェ、小さな活動拠点で行われる貧困問題、環境保護、労働問題、フェミニズム、同性愛などを扱う活動にも警察は目を光らせており、組織力のある人物は徹底的にマークされる。
精神疾患を抱える中国人も増加している。苦しむ人を助けようと、アートを用いた心理療法を行っていた女性は、警察に常に監視され、あまりにもストレスの強い環境に耐えられず、昨年、東京の我が家で3カ月間、安寧に過ごして心身を整えた後、カナダに移住した。共産党員の父親が娘の行動を警察に逐一報告するため、彼女は家族には伝えず日本に来ていた。
ウイグル、チベット、モンゴルなど少数民族への弾圧、香港の凋落ぶりは指摘するまでもないだろう。当事者のプライバシーと安全に関わるため詳述できないが、何人もの私の友人や知人が精神を病み、自殺に追い込まれ、不当に財産を奪われたり、冤罪を科されたりもしている。
日本はこうした時こそ、率先して行き場を失った中国人を受け入れるべきだ。米国に対しても、同盟国として主張すべきことは主張する姿勢は欠かせないが、トランプ2.0以降の日米関係は、防衛費増や関税合意、対米投資などに関し、トランプ政権が迫る要求に対して、しっかりとものが言えない状況になっていないか。
急速に悪化する日中関係
中国の挑発に乗るな
そうした中、25年11月の衆院予算委員会における「存立危機事態」に関する答弁に中国政府は反発し、日中関係の緊張状態が高まっている。
中国政府の居丈高で荒唐無稽な主張に世界中の人々が憤るというよりも呆れているのではないかと思う。日本人は、こうした中国政府の言行を決して額面通り受け取らず、日本を煽るために意図的に行っていることと捉え、必要最小限の抗議にとどめた方がよいと私は考える。
しかし、日本の言論空間の両極化は進む一方であり、高市首相の発言に対して、「よく言ってくれた。中国が勝手に引いたレッドラインを気にする必要はない」という人がいる一方で、「『日本政府は悪くない、中国が悪い』という演出には、日本が戦争を準備しようとする背景がある」という人がいる。
政治家も官僚も、メディアも国民も、自分にかかわる利害関係を考慮して自らの立ち位置を決めるが、その狭い範囲に固執する語りから脱却できなければ、開放的な対話はできない。日本の左と右に寄る人も、「反中」や「親中」といった単純な構図に自らを収めている場合ではない。互いに自らの正当性を主張し、相手を攻撃し合うことに終始してしまっては、いつまでも建設的な議論が行えない。
