国会(衆議院予算委員会)で立憲民主党の岡田克也議員が“執拗”なまでに繰り出す「台湾有事」に関する質問に高市早苗首相が「戦艦出動」にまで踏み込んだ「存立危機事態」発言は、国内は当然のこと、日中間に大きな波紋を呼び起こし、10日以上が過ぎた今に到っても一向に収まる気配をみせてはない。
今回の事態を奇貨として、習近平政権は高市政権に打撃を与えるべく、経済分野を軸にした対日攻勢をエスカレートさせるばかり。ならば我が国としては現段階でジタバタするのではなく、やはり日中間の緊張状態の長期化を覚悟したうえで事態に対処すべきだろう。
劉局長が人民服を着ていた意味
習近平政権の日本に対する強硬姿勢は、我が外務省が急遽北京に送り込んだ金井正彰アジア大洋州局長を迎えた中国側の劉勁松アジア局長がみせた、11月18日の出で立ちから十分に類推できるはずだ。会談後に記者の質問に、同局長は人民服のポケットに手を突っ込んだままの硬い表情で、「(日本側との会談内容に)満足していない」と木で鼻を括ったような対応ぶりだった。
有り体にいうなら、あれは劉局長の個人的プレーというわけではなく、あらかじめ練られたシナリオに従っての振る舞いであり、当初から「満足」するような会談を想定してはいなかったはずだ。一連の振る舞いを捉え、我が国メディアには「無礼千万だ」といった激昂の声や批判が散見される。たが、それが劉局長に割り振られた政治的役回りであればこそ、人民服で登場した段階で日本側に対する外交的礼節なんぞは考慮してはいなかったと考えられるのである。
習近平国家主席に象徴的にみられることだが、共産党政権幹部は党や国家の重大行事に際しては、スーツではなく人民服――それも高級布地でスッキリ・ピッタリと仕上げられた――で登場することを常としてきた。それというのも人民服は着ている者の政治的立場・影響力を可視化し、その政治的メッセージを内外に明らかにする政治的ツールだからである。
これを人民服の政治学とでも呼ぶなら、劉局長の人民服からは高市政権側の求めには一切応じないという強いメッセージが読み取れるだろう。人民服は習近平政権下で対日交渉に当たる劉局長にとっての“戦闘服”であり、成立直後の高市政権に向けて放った最初の攻撃の矢と見なすことができるのだ。
実は中国側からするなら、あれは外交上の話し合いなどではない。劉局長の眼中には最初から金井局長は存在してはいなかったに等しい。想像を逞しく言い表すなら、あれは紛れもなく14億の国民を相手にした国内政治であり、最高権力者である習近平国家主席に向けての忠誠心の表明ということになる。
