アナログ・バリューも健在
「国際バスケットボール大会」会場を出ると、すぐ目の前の広場「スプラウル・プラザ」では、白人系、中国系の学生十数人が中国古典舞踊の衣装をまとい、大太鼓、小太鼓を打ち鳴らしながら、蛇踊りを演じている最中だった。
それを一般学生百数十人が取り囲み、太鼓のリズムに合わせ手拍子でステップを踏む様を目の当たりにするにつけ、ほっとした気持ちになったのは、筆者だけではないだろう。
大学本部前の学生掲示板には、トランプ政権による大学教育締め付け政策に抗議して、ベタ張りの「TRUMP MUST GO NOW!(トランプ即時退陣を)」と大書したポスターが目に留まった。こうした学生たちの怒りを込めた意思表示も、1960年代後半、バークレー校から燎原の火のように全米に広がったベトナム反戦運動の片鱗をうかがわせる。
サンフランシスコでも、アナログ・バリューの健在ぶりは、随所に見られた。その一つは、昔ながらの人力運転による「ケーブルカー」の人気ぶりだ。
ケーブルカーは、1873年の運転開始以来、市内中心部からサンフランシスコ湾岸の観光スポット「フィッシャーマンズワーフ」に至る目抜き通りを時代遅れののんびりしたスピードで行き来している。車両下の地中を動く強靭な鋼鉄ケーブルを「グリップ」装置でつかんで進む仕組みで、発車・停車の際は「グリップマン」と呼ばれる運転士がレバーでケーブルをつかんだり離したりする。方式は昔のままで、モノクロ映画のシーンのようだ。
車輪含め車体全体が鋼鉄製で重いため、加速・減速・停止の際の「グリップマン」の操作は、強靭な足腰と腕力が問われるプロレスラー並みの力仕事になる。
乗車料金は、50年ほど前は25セントほどだったはずだが、今では1回8ドルにまで跳ね上がっており、贅沢な輸送手段と化した感がある。それでも、利用客は後を絶たず、いつも鈴なり状態だ。
AI無人タクシーが縦横に走り回る中で、運転手の腕力が問われるケーブルカーに人気が集まるのは、一見、奇異にも見えよう。しかし、いつの時代でも、人間の生身の生きざま、人と人との触れ合いは不変であることの証拠と割り切れば、納得できるのではないか。
ITと禅
まさに今日、人間の内面追求、感性の大切さが真剣に求められている風景は、市内のジャパンタウン(日本町)に古くから存在してきた禅寺「桑港寺」、そこから1990年代に分離し新たに訪問客のための宿泊施設まで用意された「サンフランシスコ禅センター」の近況にも垣間見える。
筆者は留学時代の1960年代後半、学業のかたわら、「桑港寺」での早朝座禅に幾度となく通った。当時、鈴木俊隆禅師指導の下、ひんやりした禅堂で一列に並び座禅を組む仲間は20人前後だったが、なぜか筆者以外は白人だった。しかも、参禅者の中には、バークレー校で物理、化学を専攻する学者たちが何人もいるのに驚かされた記憶がある。
