2025年12月22日(月)

バイデンのアメリカ

2025年12月22日

 その中で親しくなった学者の一人に、熱心に座禅に通う理由について聞いたところ、以下のような告白が返って来た。

 「私たち科学者は永年、物質とは何かについて電子顕微鏡などを駆使し解明に取り組んできた。その結果、原子、原子核、そして素粒子にまでたどりつき、その素粒子にもクォーク、レプトン、ゲージ粒子といった種類があることまではわかってきた。しかし、その先に何があるのかはまったく未知の世界だ。極小の世界は宇宙そのものとも言え、仏教とくに禅宗が説く『無』『空』にも通じるものがある。座禅を組むことで何かが得られるのではないか。そんなはかない期待もないわけではない」

 「桑港寺」の名はその後、ITブームの到来により、全米に一躍知られるに至った。パソコン時代を切り開いたアップル創業者スティーブ・ジョブズが本格的経営に乗り出す前、「桑港寺」での座禅に足しげく通い、鈴木禅師に直接指導も仰いでいたことが自叙伝などで明らかになったのが、ひとつのきっかけだった。

 鈴木禅師夫妻と親しい付き合いのあった筆者は、時期が20年ほどずれていたため、ジョブ氏と言葉を交わす機会もなかったが、のちに彼が同じ禅堂で同じ禅師の下で座禅を組んでいたことを知り、何かしら親近感を覚えずにはいられなかった。

 「ITと禅」――。今にして思えば、ジョブズが座禅に通った当時の心境は、それより以前にバークレー校の学者たちが漏らした告白とどこかで共通するものがあったに違いない。

さらなる広がりを見せている禅

 そしてAI時代の今日、禅ブームは衰えるどころか、白人社会にもさらに広がりを見せており、瀟洒なホテル並みの施設を兼ね備えた「サンフランシスコ禅センター」では、座禅体験を渇望する宿泊客で連日予約もいっぱいらしい。

 もちろん、当世の参禅者たちは、哲学的思想を持った物理学者やジョブズのような天才ばかりではないだろうが、ITそしてAIの発展とともに疎外感を募らせる人間にとって、それは一時の心の救済を意味しているとも言える。

 1960年代には、禅堂は全米でもサンフランシスコの「桑港寺」だけだったが、今日、バークレー、モントレー、サウサリト、サンディエゴ、ロサンゼルス、シアトル、東海岸のニューヨーク、ボストンなどの主要都市周辺にまで広がっており、専門ディレクトリーによると、座禅を組む「禅センター」は、全米で実に200カ所以上に達しているという。

 前世紀のIT革命をへてAI時代に移行した今日、なぜここまで禅堂が米国で増えつつあるのか――。

 あえてその理由を探すとすれば、機械文明の著しい発展とともに、ますます人間が置き去りにされ、そこに生じた心の空洞の埋め合わせを求めているからではないか。

 AIに欠かすことのできないアルゴリズムは、いわば「ゼロ」の世界だ。「ゼロ」のコンセプトは、禅が説く「無」「空」にも通じる。そして人が座禅を組む時、ロジックをつかさどる「左脳」ではなく、感性、直感、ひらめきに関係する「右脳」が活発な働きをすることも知られている。

 そう考えると、たとえ今後AIが計算力や暗記力で人間を凌駕したとしても、芸術や音楽を鑑賞する際の人間の感性も、決して衰えることはないだろう。


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