AI時代に持つ「不安」
米誌タイムは去る11日、毎年恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に、AI関連企業トップらの「設計者たち」を選んだと発表、選考理由として「AIの実用化の急速な進展とともに、思考するマシン時代をもたらし、人類を驚かせ、不安にさせた」ことを指摘した。こうしたAIがもたらす不安こそが、人々をますますアナログ文明や宗教への郷愁を駆り立てていることは想像に難くない。
また、日経電子版によると、欧米では、座禅や瞑想のみならず、AIスキルを持つ技術者や研究者のうち、倫理・哲学などの専門教育を受けた人が過去5年間で6倍に増えたという。これも、AIがもたらす予測不能な未来に不安を感じ始めていることの証左だ。
感性=アナログ・バリューへの郷愁――。それは、わが国社会でもしっかり息づいている。
21世紀の今日、数百年も前から伝わる両国国技館の大相撲や銀座のど真ん中に陣取る歌舞伎座興行に常に大勢のファンがつめかけ、東京ドームの巨人戦が立見席まで埋まり、浅草の仲見世通りに買い物客が群がるのも、けっして驚くに当たらない。
では今後、人間はいつまで、AIの「主人」であり続けることができるのだろうか。その答えは、マシンでは及ばない発想力、想像性、統率力、直感を支える総合的「人間力」をいかに鍛えられるかにかかっていると言えようか。
言い換えれば、AI時代の「人間力」とは、アナログ・バリューの復権を意味している。
