自分たちは最早ない袖は振れない。しかし、第二次世界大戦後に自らが中心となって築き上げた国際秩序に対するニーズは、大きくなり続ける一方だ。であれば、既存の秩序をこれからも維持するためには、米国と同じ考えを共有する同盟国やパートナー国に、それぞれが持つ能力を最大限に発揮しつつ米国と協力してもらう必要がある。「普通の国」化が進む米国にとって、少なくとも米国の力をアテにして自国の安全保障を確保するような「ただ乗り」は最早許容できないのである。
日本の集団的自衛権をめぐる動きには「様子見」
このような観点から、7月1日に日本政府が行った憲法9条の解釈に関する閣議決定に対する米国の反応を見ると興味深い。1日の閣議決定により、集団的自衛権行使への道が開かれたことに対して、ヘーゲル国防長官は同日に発表した声明の中で「日本が今後、地域や世界の平和と安定により多大なる貢献をするための重要な一歩である」と称賛し、また今回の決定は、現在進行中の日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しに代表されるような同盟の近代化の努力にも合致するものである、と述べた。1日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙でも、今回の閣議決定については中国からの脅威を考えると止むを得ない措置である、と社説で述べるなど、おおむね好意的な見方である。
その一方で、「様子見」の雰囲気が根強く存在するのも事実だ。安倍政権発足当初に「2013年秋ごろ」と言われていた閣議決定の時期が何度も延期されて今に至っていること、今後整備が必要とされる法律の審議を今年秋の通常国会で本当に開始することができるのかが依然として不透明なことに加えて、閣議決定前に総理官邸前に多数の人が集まって抗議行動が行われたことや、集団的自衛権に抗議して男性が焼身自殺を図ったことなどがアメリカでも報道されているため「国民の間でのコンセンサス形成にはまだほど遠い。閣議決定は数の力に任せて自民党が押し切ることができたが、法律改正や新法制定など、国会での審議を経なければならないプロセスは、簡単には進まないだろう」という見方が広がっていることも関係しているようだ。
もともと、米国は、日本の「集団的自衛権行使」そのものについては、意外と冷静だ。もちろん、集団的自衛権の行使ができるにこしたことはないのだが、現在の憲法の制約下で日本が十分できるはずのことで、できていないこともかなりあるため、そういう活動ができるように法整備をしてもらうほうが、同盟の実質的機能の向上にはつながる、という考え方だった。今回の閣議決定についても、「集団的自衛権を日本が行使できるようになる」ことよりも、その結果、日本が日米同盟の枠組みの中でできる活動の幅がどれくらい広がるのかを注視している。