明治期に端を発したこの国家介入の意志は、総力戦という極限状態において経済と社会の隅々にまで浸透し、現代日本の統治システムに脈々と流れる「国家社会主義」的なDNAを形成することとなったのである。
革新官僚による「国家社会主義」への昇華
第一次世界大戦後、日本は世界経済の変動に巻き込まれ、米騒動などの社会不安が発生した。この時期、政府は米価調整や輸入管理などの措置を講じ、国家介入の重要性が国民に認識されるようになった。
昭和恐慌では、農村の困窮と企業の倒産が相次ぎ、自由放任的な市場メカニズムでは危機を克服できないことが明らかになった。この状況下で、国家による経済統制が「国民生活を守るための手段」として正当化され、国民の支持を得る土壌が形成された。
経済統制の構築において中心的な役割を果たしたのが「革新官僚」である。革新官僚とは、昭和初期に台頭した若手官僚であり、従来の自由主義的経済政策を批判し、国家による計画経済を志向した人々である。彼らは、資本主義の矛盾や世界恐慌の混乱を目の当たりにし、「市場に任せるだけでは国民生活を守れない」という問題意識を共有していた。
代表的な革新官僚には、岸信介や椎名悦三郎、企画院に集まった若手官僚たちがいる。彼らは、国家総動員法(1938年)を立案し、戦時経済の枠組みを整備した。
この法律により、政府は労働力・資源・企業活動を全面的に統制する権限を獲得した。価格統制、配給制度、企業の生産計画の指示など、国家が経済の隅々まで介入する体制が確立されたのである。
革新官僚の思想は、単なる戦時対応にとどまらず、「国家が経済を計画的に運営するべきだ」という理念に基づいていた。彼らは、欧米の自由主義的資本主義を「時代遅れ」とみなし、当時のソ連による5カ年計画やナチス・ドイツの4カ年計画に見られる全体主義的な計画手法を部分的に参考にしながら、日本独自の統制経済モデルを構想した。この発想は「国家社会主義」と呼ばれる思想であり、国家が社会全体を統制し、国民の生活を保障するという考え方である。
革新官僚は、資本主義の自由競争が不安定を生み、国民生活を危険にさらすと考え、資本主義の弊害を国家の介入によって超克しようとする「国家社会主義」的なヴィジョンのもと、国家による計画は「合理性」と「安定」をもたらす手段であり、戦争という非常事態を契機にその理念を実現しようとしたのである。戦後の「行政指導」や「護送船団方式」の原型となり、市場の競争よりも官民一体となった「調整」を重んじる政治文化を定着させたのである。
