「最初の滑降では4位。この種目はかなりスピードが出て転倒すれば大怪我に繋がる危険性もあるのですが、それが無事にゴール出来たという安堵感からか、それまでの転戦の疲れなのか、一気に体調を崩して40度近い熱が出てしまいました。次のスーパー大回転はキャンセルし、期待されていた大回転もまったく自分の滑りが出来ずに終わってしまい、さらに落ち込んだことは、一番得意なはずの回転で一番悪い成績になってしまったことです。崩れた理由は精神的なものですが、トリノの前に自分を追込み過ぎてしまったことが反省点です」
テクニックには自信があったが、パラリンピックという大きなプレッシャーの中で精神面のコントロールという課題を突き付けられた。高校2年生の冬である。
想定外でリズムが狂ったバンクーバー
大学進学に際して、情報系の勉強が出来ること、スキー部が強いこと、バリアフリーになっていることの3点がクリアされ「ここでならバンクーバー・パラリンピックが狙える」と判断して駿河台大学を選んだ。
しかし、そんな希望とは裏腹に一人暮らしを始めたとたんに不摂生が続き、入学後、あっという間に10kgも体重を増やしてしまった。
その結果、1年目のシーズンは表彰台に一度も上ることができずに「俺はいったい何をやっているんだ。大学に何しに来ているんだ。親に高いお金を出してもらっていながら、悔しい……」とそれまでの生活を改めた。
大学での練習は自分でプランを立て個別のメニューに取り組むのが基本である。しかし、時折行われた全体練習のときは鈴木も容赦なくしぼられた。
「ここでも障害者だからという特別扱いはありません。できないものはできないのですが、やるだけやってみろと言われて挑戦しました。たとえば芝生の上を走るとか……。車椅子で芝の上を走るのは抵抗を受けるのできついんです。でもダッシュさせられました。坂道ダッシュもやりましたし、フットサルの時も手を抜かずに蹴ってきました。全体練習ではとにかくみんなと同じことをやらされましたので、本当にきつかったですよ(笑)」
海外での試合が多かった鈴木は土日になると長野県の菅平で全日本の選手たちと練習した。目指すはバンクバーでのメダル獲得である。
減量にも成功した鈴木は自分の滑りに磨きをかけていた。
そして「今度こそは! 」と臨んだバンクーバー・パラリンピック。だが、やはり試練が待っていた。
「トリノの経験があったのでパラリンピック自体による緊張感はなかったのですが、現地に着いてから、天候によって競技日程ががらっとかわってしまったのです」
通常であればレースは高速系の滑降から始まり、鈴木がもっとも得意とする回転が最後になるはずだった。しかし、悪天候が続いたため競技日程が変更された。それも高速系からリズムを作っていって得意種目でメダルを取ろうと目論んでいた、その回転から始まったのである。
「僕の一番得意な種目が最初になってしまったのです。それで焦ってしまいリズムが狂って、自分のコントロールができなくなって崩れていくんですが、大回転で銅メダルを獲得できました」