「あれは自分の技術というよりも、天候に助けられたようなものです。その日は雨で、みんながバーンコンディションに苦しんでいるなか、僕はバランス能力を生かしてメダルが取れたのかなと思っています」
目標はあくまでも金メダルを獲得すること。常に鈴木の胸にあるものは、「ここまで応援していただいている皆さんへの感謝」の思いだ。ゆえに銅メダルで満足しているわけにはいかなかった。「ここでは終われない」さらなる高みを目指した大学3年生の冬である。
ここで大学時代のエピソードをひとつご紹介しておきたい。
鈴木が4年生の時のこと、スキー部のコーチから部員みんなでご来光を拝もうという主旨で「富士山に行こう! 」と提案があった。車椅子の鈴木は当然のように「行ってらっしゃい」と返したところ、「おまえも行くんだよ。できるから」と言われて驚いた。
当日鈴木は自分の運転で5合目まで行って、そこからはなんと、手だけで這って富士山を登ったのである。手だけで! 健常者なら何事もない岩でも、それがどんなに大変なことか想像がつかない。
朝8時に5合目を出発し7合目の山小屋に着いたのが18時頃。その後深夜の1時に山小屋を出発して頂上を目指すも体調を崩して8合目でリタイヤ。そこから鈴木は朝日を拝んだ。
その間、スキー部のメンバーが鈴木の一歩一歩を囲むようにして登っていた。
「腕だけなので、すべてがクライミングでした。岩がゴツゴツして擦れて傷になりましたがとにかく登るんだと痛みどころじゃなかったんです。とにかくてっぺんに行きたかった。あんなに辛いことは2度とやりませんが楽しかったですよ。でもね、富士山は遠くから眺めるのが美しい山なんだと改めて思いました」と笑って振り返るが、これがメダリストの精神構造なのかと、ただただ超人的なエピソードに畏れ入るばかりだ。
先輩のアドバイスで自信が持てるように
卒業後、鈴木は駿河台大学の職員として母校に就職した。仕事は朝9時から17時30分まで。その後学内にあるトレーニングセンターで鍛え、冬場になると遠征はもちろんスキーそのものが仕事になる恵まれた環境である。
こうしたなか、2011年と2012年に鈴木はアルペンチェアスキー競技で総合2位となり、2013年には総合1位を獲得。ソチ・パラリンピックへ向け大きな手ごたえを掴んだ。
「なぜ2011シーズンから成績がよくなってきたのかといえばメンタル面が強くなってきたからなんです。簡単にいえば自分の滑りに自信が持てるようになった。その自信を持たせてくれたのがソチ・パラリンピックの主将を務めた森井大輝先輩です」
「それまでもコンスタントにメダルは取れていましたが、総合で上位に食い込むまでではなかったんです。なぜかというと得意の技術系(回転・大回転)種目は2本滑って合計タイムを競うのですが、僕は1本目にいい成績が出ても、それを守ろうと身体がカチカチになって2本目の成績を落とすことが多かったんです。そんな僕を見て『おまえは普通に滑っても速いんだから、何も頑張る必要はない』と森井先輩から言われたんです。『そんなことないでしょ』なんて思っていたのですが、試しに気負わず、考え過ぎず、リラックスして滑ってみたところ、良い成績が残せるようになっていったんです」
課題解決のキッカケは森井の一言だった。ただ、2011~2012年の総合1位はアドバイスをくれた森井なのである。鈴木の隣でクリスタルトロフィーを掲げる森井を見て、生来の負けず嫌いは「自分も欲しい! 来シーズンは自分が」となって、さらにハードなトレーニングに取り組む一方、常にリラックスした状態でレースに挑むようになっていった。
そして2013年に鈴木は念願のアルペンチェアスキー競技、世界ランキング総合1位と年間種目別の回転で優勝を飾った。