得意中の得意種目で「ゾーン」に入る
そして迎えたソチ・パラリンピック。
鈴木は周囲に「任せて下さい。今度こそ金メダルを取ってきます」と約束して旅立っていった。むろん慢心からではない。自らにプレッシャーを掛ける意図もあったが、心からの誓いだったのである。
3度目ともなると大舞台の雰囲気を楽しむことができた。その反面、ソチは暖かく雪質はべたっと重く、とても荒れた状態だった。
技術系種目に強い鈴木は高速系の滑降があまり得意ではない。しかし、トレーニングランの1本目から1番になり、「なんでこんなに調子いいの?」と逆の意味で驚いた。
レース本番は悪天候のなか結果は3位。銅メダルを獲得した。
しかし、その後のスーパー大回転とスーパー複合はなんと途中棄権……。鈴木曰く、「最初に銅メダルを取ってテンションがガツーン!バ~ンとめちゃ上がりし過ぎて」、難易度の高いコースにもかかわらず「俺ならできる!」とハイスピードで攻め過ぎたことが原因と振り返る。
この二つの大失敗があったことによって自分本来の滑りに気が付いた。
回転の当日、鈴木は高ぶる感情を抑え切れず、朝から泣きそうになっていた。精神面を克服し、すでに自分をコントロールすることが出来ると思っていたのだが、「回転は僕にとって特別なもの」と言うように、鈴木の得意中の得意種目なので他の競技とは思い入れが違っていた。
ただしレース会場に入った瞬間に気持ちが切り変わり「ゾーン」に入った。ゾーンとはアスリートがリラックスしながらも集中し、最高のパフォーマンスを発揮できる状態のことを指す言葉である。(脳科学ではフロー状態という)
「ほんとにスカン!と入ったんです。プレッシャーも気持ち良かった。周りの声も良く聞こえるし、良く見えてもいたので、冷静にコースの下見ができました。本番の1本目を滑ったところで1番の選手に1秒ほど離されてしまい、本来なら逆転は難しいだろうというタイムでした。僕の周りも「厳しい」と思っていたようですが、僕自身はそんな心配などまったくなく、良い緊張感を楽しんでいました。いつもの滑りができればいけると思っていたんです」
2本目もリラックスし切っていた。冷静さを増した鈴木の滑りは雪質の悪い斜面でさえも冴えわたった。そして3度目のパラリンピック挑戦にして鈴木は世界を制した。
下校途中の大事故から17年。魔の3月13日は金メダルの輝きと共に新たな記憶として塗り替えられるに違いない。
「今回パラリンピックで金メダルを取れたから言えることですが、本当の世界一というのはアルペンの全5種目(滑降、スーパー大回転、スーパー複合、回転、大回転)すべて金メダルを取ってこそ、本当の世界一だと思っています。僕はそれが目標で、いつか全ての種目で金メダルを獲得して世界一になりたいと思っています」
超人的なバランス感覚でアウトリガー(安定を保つための道具)を操り、ポールを次々にかわしてゆくスタイルは鈴木独自のものだ。技術系のスペシャリストは今後どのような進化を遂げていくのだろう。屈託のない笑顔に隠された伸び代の大きさは計り知れない。
(写真 1・6 ・7ページ:著者撮影、4・5ページ:駿河大学提供)
鈴木猛史選手 主な記録
2006トリノ・パラリンピック:滑降4位
2010バンクーバー・パラリンピック:大回転銅メダル、スーパー大回転5位、スーパー複合5位、
2013ワールドカップ:アルペンチェアスキー競技 年間総合優勝
2014ソチ・パラリンピック:回転 金メダル、滑降 銅メダル
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