『解放軍画報』サイト版2001年6月
于の庇護の下、徐は昇進を続け、1993年の総政治部副主任から2007年には中央軍委副主席にまで昇格したが、于が2002年に退役する際に江沢民に徐を推挙したことを受けてである。江は徐を于の後任と見なし、中央書記処書記、中央軍委委員、総政治部主任に就けた。
徐はこうして「瓦房店帮」の新たなボスとなり、于に続いて江沢民の子分になった。2004年に江は中央軍委主席に留任したが、2年経って主席を移譲する際に中央軍委拡大会議の席上で徐は中央軍委庁舎(八一大楼)に江沢民事務室を設置し、江を「軍委首長」と呼ばせるよう画策した。徐はこうした関係により軍の人事権を掌握した。
胡錦濤への忠誠を表明するも
時すでに遅し
2005年から2012年にかけて胡錦濤が中央軍委主席を勤めたが、自分の部下を育てることができず、人事異動や将校の昇格人事はほとんど徐才厚によって行われ、徐は江沢民の命令だけを聴くようになった。しかし、谷俊山事件が起きてから徐は自身の身が危うさを感じるようになり、公の場で胡への忠誠を表明したが、時すでに遅しだった。胡はその手に乗らず、党中央規律委員会に徐の汚職の証拠を集めるよう命じた。
これまでの捜査から徐才厚の娘の結婚時に谷俊山(元総後勤部副部長)は1枚2000万元(3億円超:筆者)の銀行カードやトランクに500キロの金塊を積んだアウディを贈呈したことが判明している(徐の汚職も谷が逮捕されて発覚したと思われる。谷事件は2月13日記事を参照のこと)。谷俊山は、もともと濮陽軍分区の一将校に過ぎなかったが、金銭贈与で済南軍区政治委員だった徐才厚に見出され、済南軍区に異動になり、徐才厚の金庫番になった。
徐が総政治部副主任から中央軍委副主席になるプロセスで谷も猛スピードで出世し、8年間で5階級昇格し、中将へと最速昇進を遂げた。谷は総後勤部で軍の不動産を一手に取り扱い、徐による官職売買のブローカ的役割を担った。官職売買の値段は大佐から少将への昇格が約3000万元(約5億円)で下級士官への昇格も数十万元というのが暗黙の了解になった。こうして谷が関与したとされる軍の官職売買は数百件に上ると見られている。関与者があまりに多く、中央軍委は、こうした人物を降格させるか否か決められずにいるようだ。
瓦房店出身の将軍は30人に上る。現職では鄭群良中将(空軍副司令)、任忠吉少将(海軍後勤部副部長)等、退役では、谷善慶上将(元北京軍区政委)、陳国令上将(元南京軍区政委)もそうだ。人口わずか100万未満の県レベルの市からすると奇跡だ(1970年代以前は10万人未満:筆者)。もちろんこの将軍たちが皆、官職売買をしたとは考えにくく、徐と政治的パートナーかは不明だ。ただ同郷のよしみが果たす役割は情を重んじる中国社会では言わずもがなだ。