2026年7月18日(土)

台湾「麗しの島」の実像

2026年7月18日

圓山大飯店(旧台湾神社)
台湾の歴史を刻む壮麗な空間

深紅の絨毯が敷き詰められたロビーフロア。ここに神社の拝殿があった。1901年10月28日に神社の鎮座式が挙行された

 台北市の北に位置する圓山大飯店(グランド・ホテル)。ここは終戦まで神社の神苑だった。官幣大社・台湾神社は台湾を鎮護する社とされ、祭神は開拓三神の大国魂命、大己貴命、少彦名命、そして、近衛師団を率いて台湾を訪れ、台南で没した北白川宮能久親王だった。

 神社は市街地が見おろせ、市民からは神社を見あげるという呼応関係が意識され、祭神の威徳が強調された。台北の街を京都に喩え、手前を流れる基隆河を鴨川に見立てるという位置関係はここに成立した。

 本殿は壮麗を極める神明造り。背後の山全体が神苑とされた。灯籠は石製、銅製、陶製のものがあったと言われ、その総数は100基を超えていたという。

 終戦によって神社は廃せられ、敷地をどのように活用するかという議論があった。当初は平和を祈願して廟を建てる計画もあったが、最終的にはホテルが建てられ、蒋介石夫人の宋美齢が実質的な経営を始めた。

 館内に入り、煌びやかな赤絨毯を進むと、ロビーフロアが切れる先に階段がある。この先に本殿があった。さらに奥へ進むと噴水があり、龍の像が置かれている。これは1919年に実業家・館野弘六が神社に奉納したもの。もともとはブロンズ製だったが、現在は金箔が貼られ、展示物となっている。

児玉源太郎・後藤新平の銅像 
台湾で守られる二体の銅像と博物館

左から児玉と後藤の銅像。戦時下の金属供出令から逃れ、戦後も国民党政府による破壊を免れた珍しい事例である

 国立台湾博物館は第四代台湾総督の児玉源太郎と民政長官の後藤新平の治績を記念して建てられたもので、日本統治時代は台湾総督府博物館を名乗っていた。竣工は1915年4月18日だった。

 建物外観はギリシャ式の列柱と大きなドーム、そして正面の三角ペディメントが特色とされる。主要部分には大理石が用いられたが、舶来品に大きく価値が置かれた時代、すべてイタリア産のものだった。中央ホールの天井にはステンドグラスがあり、その美しさに圧倒される。これは児玉家の家紋・「軍配団扇」と後藤家の家紋・「下がり藤」を組み合わせた図案で、似たものが中央正面の階段の欄干にも見られる。ホールを挟むように児玉と後藤の銅像が置かれていたが、戦時中、金属供出の危機に遭い、職員が倉庫に隠した。そして、戦後国民党政府が日本にゆかりのあるものを排除しようとしたため、半世紀以上、陽の目を見ることはなかった。

国立台湾博物館の大ホールにあるステンドグラス

 現在、銅像は博物館の3階に展示されている。両者とも作者は新海竹太郎。後藤像をよく見ると、鼻眼鏡を着けており、足下には「大正三年新海竹太郎」と刻まれている。児玉像は生誕の地である山口県周南市にこの銅像をもとに制作されたレプリカが置かれている。

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Wedge 2026年8月号より
台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」
台湾「麗しの島」の実像 日台新時代を拓く「3つの視座」

かつてポルトガル人が「フォルモサ(麗しの島)」と呼んだ台湾。半導体産業で世界の最先端技術をリードし、日本統治時代の記憶も、歴史の一部として内包している。一方で、現在は米中対立の最前線に立たされ、難しい現実に直面している。国際社会で複雑な立場にある台湾とともに、日台新時代をどう拓くのか─。「3つの視座」から考えたい。


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