日本料理店を営む日本人
台湾と日本の架け橋に
特急電車で台北から南東に向かって2時間半。太魯閣渓谷などの観光地がある花蓮に、人と人との輪づくりに尽力する日本人がいる。「ひらけごま」という意味を持つ「芝麻開門」店長の溝淵剛さんだ。
花蓮に来て今年で29年目になる溝淵さんは、再婚を経て、子どもが7人いる。「波瀾万丈」という言葉が似合う人生を歩んできた。
「高校卒業後、地元の愛媛県宇和島市から東京に出て、新宿の天ぷら屋の厨房や原発施設内の排水管工事、銀座の老舗ホテルでバーテンダーなど様々な仕事をしました。銀座のバーでは料理長にさんざんいじめられましたが、どうすれば仲良くなれるか必死になって考え食らいつき、やがて、固い絆が生まれました。
その後、地元に戻って母親のスナックの仕事を手伝う中、花蓮に多く住む原住民・アミ族の女性と出会って結婚し、宇和島市で台湾料理屋を開店。しかし、経営がうまくいかず、心機一転の気持ちで、29歳の時、妊娠中の当時の妻と3人の子どもを連れて、花蓮へ移住しました」
花蓮では日本人経営の居酒屋で働いたが、様々な事情から退社した。
「今度こそ、宇和島に帰る覚悟をしましたが、花蓮に住むある人が仕事を紹介してくれてね。ここでもう一度頑張ろうと思ったんです。そして、2000年に、かつて自分をいじめていた銀座のバーの料理長とともに、『芝麻開門』をオープンさせました。いつか、店内がパイプ椅子で、私が割烹着を着て、誰もが気軽に立ち寄れる昭和の食堂みたいな店をつくりたいと考えています」
溝淵さんは店の経営とともに、花蓮日本人交流会や日本の各県人会にも所属し、人と人との関係づくりをライフワークとしている。また、花蓮与那国匿名交流員として、花蓮と沖縄県与那国町や、高知県土佐清水市の観光特使としてさらなる関係強化も進める。
「台湾と与那国島の距離は111キロ。プロペラ機だったら20分もかからず、まさに通勤圏です。夢のような話かもしれませんが、与那国島に住む人で緊急手術が必要になった際、時間のかかる石垣島や沖縄本島へ搬送するよりも、すぐ近くの花蓮で高度な医療を受けられるようになればいいなとも考えています」
故郷である宇和島市に台湾の人々を引き連れ、魅力を伝える活動も熱心に行っている。
「これからは、県単位ではなく、四国の西南部などの広い範囲を『面』として捉えて、多くの台湾人を招致したい。サイクリングやマリンスポーツ、ゴルフなどに加えて、農業や漁業を営む地元の人々との交流を通じて、台湾人の訪問者をもっと増やすことができるはずです。昔から人と人をつなげることが大好きで、この活動は私の人生そのものなんです。地元の経済が潤い、みんなが喜んでくれたらそれでいい。でも、いつかは地元に戻って、日本から台湾の人たちを迎えたいですね」
屈託のない笑顔で言い、溝淵さんはこう続けた。
「人をつなげるためにお店の儲けを使ってきたし、これからも全部使っていきますよ!」
台湾と日本をつなぐ「架け橋」となるべく、溝淵さんは鮮度抜群のカツオのように、凄まじいバイタリティーで動き続けている。
