日本に対する複雑な思い
日本人へのメッセージ
「通っていた学校は2階建ての校舎でした。校庭には本を持つ二宮尊徳と、馬に乗る楠木正成の像がありましたが、戦時中には国防献金のために売られてしまいました」
31年生まれで新北・九份出身の林廷彰さんは、台湾の人が多く通った国民学校の様子をこう話し始めた。
「書道が好きでしたが、筆を持っていなかったので木のへらで土に字を書いて練習していました。校長の佐竹先生が『綺麗な字を書きましたね』と褒めてくれたことが今でも印象に残っています」
こう話すと、林さんは達筆な字で、明治天皇の御製を書き記した。「『台湾の国民の生活がとても豊かになっていくと聞いて嬉しい』という意味です」と解説してくれた。
1・2年生の時に担任だった佐々木先生もやさしかったという。
「『みかんは1個で、1本ではありません。傘は1本といいます』と、現物を見せながら日本語を教えてくれました。私は級長を務めており、先生の宿舎で草取りと掃除をしたご褒美に、あずきの汁をもらいました。とてもおいしかったですね」
林さんには戦時中の記憶もはっきりと刻まれていた。
「警戒警報! 敵機来襲! 防空壕に入ってください!──。B29来襲時には、紙を丸めて拡声器代わりにして叫びました。また、当時は1日2食、おかゆと干し大根などしか食べられず、すぐお腹が減りました」
林さんは国民学校を卒業後、海軍工員に志願して試験にも合格したが、配属前に終戦を迎えた。
台湾は「光復」を迎え、九份に近い基隆港から国民党軍が上陸、林さんは出迎えに行った。だが、現実は違った。「国民党軍はとてもだらしなく、失望しました。戒厳令下では家に日本統治時代のものがあると銃殺されてしまう危険性もあり、母が私の国民学校の教科書を焼いて処分したのですが、その時に、母の手から奪い取って数冊の教科書を墓場に隠しました」。
林さんはこの時に隠した教科書を掘り起こし、昨年までの10年間、日本語を教える授業を行っていた。それは「誠の精神」を伝えたいからだと言う。取材の最後、今の日本人に伝えたいことを聞くと、こう語った。
「日本人は情けない。敗戦後、なぜ50年治めた台湾を放棄したのか。台湾は何が悪かったのか。同じ国だったのに、日本は裏切った。その理由を私に話してください!」
その力強い声と視線に、小誌記者は何も答えられず、ただ、林さんを見つめることしかできなかった。それでも、別れ際に林さんは優しく言った。「今度台湾に来ることがあったら、私のおうちに来なさい。もっと、いろいろ話しましょう」。笑顔だった。握手もしてくれた。記者は涙がこぼれそうになった。
様々な思いを持つ日本語世代──。前出の土山さんは、今後の活動についてこのように語った。
「『じゃっばーぼぇ』というユーチューブチャンネルで、日本語世代や台湾について発信しています。今後も日本語世代の話を聞きたい人が集まるイベントや、プラットフォームをつくりたいと思っています」
埋もれてしまいかねない日本語世代の記憶。そうした歴史をどのように未来につなげていくべきか。日本語世代の証言や土山さんの活動は、私たちに静かに問いかけている。

