豊富な産業データをフィジカルAIに
そうした中で、フィジカルAIが普及し、生産性を高めるとともに人間の負担を軽減することもできるという期待感が最も大きいのが、産業界だ。
世界経済フォーラム(WEF)は今年1月20日、「欧州の産業界はフィジカルAIに集中することで、競争に勝つチャンスがある」という論考を公表した。WEFによると、現在使われている産業用ロボットよりも自律性が高いフィジカルAIをフルに活用するには、豊富なデータが必要だ。「製造業が経済の重要な柱である欧州では、産業データが豊富に存在する。このデータを活用すれば、欧州はフィジカルAIの分野で、世界をリードできるかもしれない」と指摘する。
特にWEFは、欧州の中小企業がフィジカルAIによって最も大きな恩恵を得られると推測している。ドイツはものづくりが経済の中で占める比重が大きい国だ。
同国の企業数の約99%は中小企業である。この国には、B2B市場(企業同士の取引)に特化しているために市民やメディアにほとんど名前を知られていないが、特定の部品や技術では世界市場で60%~70%のシェアを占める企業が多い。ニッチ市場に特化し、高い技術革新力と効率性の追求によって生き残って来たこれらの企業は、「hidden champions(隠れたチャンピオンたち)」と呼ばれる。
WEFは「欧州は、これらの隠れたチャンピオンたちの労働生産性をさらに引き上げ、人手不足を克服するために、フィジカルAIを発展させて投入するべきだ」と提案している。WEFは中小企業がフィジカルAIによって生産性を引き上げられるように、産業データ(顧客データなど競争に関わる機微なデータは除く)を業界全体で共有できる枠組みを作るべきと指摘する。
ドイツでは11年に連邦政府、ドイツ工学アカデミーと人工知能研究センターが製造業のデジタル化計画「インダストリー4.0」を公表した。「デジタル・ツイン」などインダストリー4.0に関連した技術は、フォルクスワーゲン、BMW、シーメンスなど大手企業ですでに使われているが、大半の中小企業には浸透していない。その理由は中小企業では、大企業に比べてITに強い人材が少なく、大企業に比べるとデジタル化に投じられる資金の額が少ないからだ。
だが中小企業に浸透しなければ、インダストリー4.0は成功したとは言えない。このためドイツの経済界でも、現在ではインダストリー4.0に対する関心が15年前に比べると下火になっている。
そこでWEFは、EUと加盟国政府が、中小企業がフィジカルAIなどによってデジタル化の恩恵を受けられるような枠組みや助成制度を作るべきだと主張している。
筆者は11年以来、インダストリー4.0について本や記事を発表してきたが、欧州の産業界ではフィジカルAIが成功するチャンスが大きいという主張には説得性があると思う。
これが実現すれば、工場で働くエッセンシャルワーカーたちの労働条件は大きく改善されるに違いない。彼らの仕事の中で、肉体労働の比率は下がり、製品の組み立てプロセスの改善など、より創造的な業務の比率を増やすことができるかもしれない。
