技術論的・方法論的な観点から大掛かりな議論を
第二に「首尾一貫性」についても重要である。規制委員会が果たして利用可能な知見をすべて考慮して判断しているのか(例えば地震・断層問題について外部の知見を取り込むための有識者会合では、これまで安全審査に携わった有識者を排除)、またいったん確立した規制判断を簡単に覆していないか、あるいは規制活動が文書化された規制に合致しているかなど、「首尾一貫性」の原則が欠如していることによる自己規律の弛みが見てとれるケースも多い。
規制委員会は国家行政組織法第3条に基づいた非常に独立性の強い規制機関である。それだけに、外部から規制委員会の規制活動や審査プロセスなどについて何らかの「圧力」になるように働きかけることは許されていない。だとすれば、規制委員会がしっかりとした規範を自ら課し、その規範に則って自らの活動を規律するということが非常に重要になってくるのである。
こうした独立性の制度的担保の陰に隠れて、外部とのコミュニケーションを断ったり、さまざまな技術的知見に耳を傾けることを拒否したりするならば、それは自らの判断や活動についての自信のなさの現れだと受け止められかねない。独立と孤立は違うとよく言われるが、「自己規律なき独立」はそれ以上に大きな問題である。そうなる前に、米国並みの活動原則を打ち立てて、それを規制活動の実際的な基本方針とするべく、現状の活動原則を再度根本から議論し直すべきである。またそのようにして樹立された原則は、場合によって炉規制法又は原子力規制委員会設置法に唱うことも検討する必要がある。
ライセンシー(事業者)の組織ガバナンスについてコメントや改善を要求する立場にある規制委員会が、自らの組織ガバナンスの基軸となる活動原則を、この程度の抽象度でしか有していないことは、事業者の規制委員会の活動や判断に対する信頼感も喪失させてしまいかねない。炉規制法が存在する限り事業者は規制委員会の要求通りの措置を講じることは間違いないが、それだけでは形式的な法規制遵守しか生まない。しかし、事業者の規制委員会の判断に対する敬意なり信頼が基礎となっていれば、安全性の向上に向けた取組みを事業者が一層進めるモチベーションにもなる。「面従腹背」といった状態に陥らないようにすることが肝要である。
また、同時に、そうした新たな活動原則が拠って立つ安全確保へのアプローチのあり方(NRCの場合は「risk-informed performance-based」という基本的な安全規制方法論が確立している)について、技術論的・方法論的な観点から大掛かりな議論をスタートすべきである。これまでは個別プラントの新規制基準適合審査にリソースが取られて、こうした議論を行う余裕がなかったことは理解できるが、そろそろ本質的な規制行政のあり方論について着手すべきだ。(9月29日掲載分に続く)
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