「何か大きなモノを作りたいと思っていたけど、それが何かわからなかった。建築家かなあ、デザイナーかな。まずは美術にしよう。たまたまラグビー部に勧誘されて、そこのカッコいい先輩が彫刻科だというので彫刻科。振り返ってみると、節操がないですね」
決めてから動くのではなく、心の向かうがままに道を曲がってからその風景の中で決めていく。節操がないというより、むしろ子どもの頃から外尾悦郎という筋が頑固なまでに通っているようにも思える。
最初は軟らかい木から彫り始めた。ところが木を彫る前に、ノミを研ぐことに夢中になってしまった。作品を作らずノミだけ研いでいる変な学生に興味を持ったのが、教授たちもけむたがる大先生。外尾になぜか樹齢数百年の古木をポンと与えた。
「斧買って、斧を夢中で研いで、研ぎ過ぎて自分の足の指を落としたのも気がつかなかった。木はほとんど腐ってたんですが、最後に芯がきれいな形で出てきた。これをノミで仕上げただけ。何か本当の作品を作る姿勢を見つけた感じがしました。自分を何者かが動かして作らせてくれている。サグラダ・ファミリアで仕事して、いつも思い、伝えていきたいことは、自分たちは道具になりきれたら最高なんだってことなんです」
木彫から鉄を経て石にたどり着いた。
「石には、負けました。ずっと負けっぱなしかもしれません。初めて山から石を運んできて、丸い石を四角にしようとしたんですが、それができない。1面できて、2面彫って、3面に行くとポロッと崩れ落ちてしまう。目があってキャベツやレタスみたいに巻いているんですよ。真四角にすることができない。最初はだまされているんじゃないかって思いました」
石は硬くて頑丈で、力技で強引に彫ってもビクともしないと思っていた。外尾の話に、石に抱いていたイメージがぐらつきだす。
「単なる石ころで、これを芸術作品に変えるのは人間という気持ちがどこかにあって、最初からパンチをくらったようでした。石が言うことを聞いてくれない。いじめるから崩れるのとも違う。こっちがやったことへの答えを100パーセント出してくれる。自分の身を削って間違っているか正しいかを教えてくれる。人間でもそういう人、いますよね。今では石がああしろ、こうしろとすべて指示するんです。日本には石の文化がないといわれるけど、とんでもない。世界に誇れる石の文化があります。石垣。実はあれはガウディ以前のガウディ。引力に逆らわない自然な最高の建築構造で、石自体がそこに収まるしかなかったみたいな懸垂曲線。あれは自然の中の最高の答えなんです」
ずっと何かを探している自分がいて、でも何を探しているのかわからない。そのヒントは石を彫ることの中にあるのではないかという感触を得ながら石と向き合って学生時代を過ごした外尾にとって、石と離れて暮らすのはやはり不自然な道だったのだろう。教師になった外尾が車の窓から見た石の山は、忘れようとした恋人と偶然道端で再会したようなものだったのかもしれない。こうなれば、一途に追いかけるしかない。