2024年11月21日(木)

この熱き人々

2014年10月10日

 「ガウディが何を求めたのか。残った一部をひたすら見て、細部は写真を撮ってルーペで拡大して、見続けました。ガウディが何を造ろうとしたのかは、ガウディを一生懸命見ていてもわからない。ガウディが見ていたもの、ガウディが目指した方向を見ることで、初めてガウディがわかる。観察し、発見する。ガウディを知るには、その天才性を頭で理解しようと努めるより、ガウディという子どものように自由で素直な気持ちと一体化すると見えてくるものがある。答えを見つける能力をつけること。ガウディの跡を継いでいく者にはそれが不可欠じゃないかと思います。修復に2カ月分の給料を貰ったけど、2年かかりました。人前で話すのは苦手だったけど、観光客のガイドをして生活を支え、ハゲまでつくっちゃいました」

生誕の門を飾る天使像

 ガウディは、「人間は創造しない。神の創造に寄与しているだけだ」という言葉を残している。自我を消して、ただガウディの声を聞く。あるいは自然の声を聞く。あるいは石や木の声を聞く。何をするべきかの答えはその中にある。西洋的な自我の世界とは対極の、むしろ東洋的な思想が感じられる。

 「神は決してお急ぎになりません」と、ガウディは次の世代に完成を託した。そもそも完成というゴールなど存在しなかったのかもしれない。ガウディはサグラダ・ファミリアを建築しようとしたのではなく、サグラダ・ファミリアによってガウディ自身を造っていった、とも言われている。同じように外尾も、サグラダ・ファミリアに草鞋(わらじ)を脱ぎ、36年かけて石から彫り出したものは、外尾自身だったのかもしれない。

 別れ際に握手した外尾の手は、柔らかかった。ノミを握り続けたゴツゴツと硬い手を想像していたものだから意外だった。

 「無駄な力が入っているうちは、マメができたり硬くなったりする。身体すべてに力を分散させるとダメージがない。これは柔術の基本なんです」

 あの時の柔術がこんな風に生かされているとは。これまでの外尾の時間がすべて、蛇行しながら緩やかな曲線で見事に今につながっているかのような……。サグラダ・ファミリアの聖堂は、1本の柱が上にいくほど枝分かれして、たくさんの小枝が天井をしっかり支えている。それは、外尾の姿にとてもよく似ているように思えてきた。

(写真:岡本隆史)

外尾悦郎 (そとお・えつろう)
1953年、福岡県生まれ。78年、石を彫る仕事を探しに25歳で日本を飛び出し、スペインでサグラダ・ファミリアに出会う。以来、現在まで35年間、彫刻家としてサグラダ・ファミリアの建築に携わり、2013年よりアートディレクターを務める。

◆「ひととき」2014年9月号より

 

 

 

 

 

  
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