中東諸国にとっての「イスラム国」とは
従って、「イスラム国」の打倒や抑制のためには、イラクやシリアでの軍事行動ではなく、同派への資源供給の遮断こそが最優先課題となるべきところである。しかし、トルコが上記の「国際同盟」の活動に積極的には応じていないことに象徴されるように、アメリカを含む諸国が「イスラム国」への資源の遮断に真剣に取り組んでいるようには見受けられない。
「イスラム国」はその前身となる団体が04年には既にイラクで活動しており、その存在そのものは新奇ではない。それが現在のように勢力を伸ばした原因として、イラクの政情の混乱とシリア紛争を挙げることができる。特に、11年の時点で、「イスラム国」は本来の活動地のイラクで勢力が衰退しており、これを回復する契機としてシリア紛争が重要である。
シリア紛争では、同国のアサド政権を打倒しようとする反体制武装勢力が、その思想や素性を詮索されることなく肯定され、彼らがシリア国外で資源を調達することが黙認・奨励された。資源の大半は、トルコ経由でシリアの武装勢力に流入した。
「イスラム国」はこうした風潮に便乗し、当初は「ヌスラ戦線」というフロント組織を通じて、13年4月以降は「イラクとシャームのイスラム国」と名乗り、外部から寄せられる資源の主な受け取り手となった。イラクで地元の支持や活動のための資源を失った「イスラム国」は、シリア紛争で欧米諸国や一部アラブ諸国、トルコが反体制派を支援したことに乗じ、勢力を回復させた。
(MILITANT WEBSITE/AP/AFLO)
「イスラム国」への資源の供給元となった諸国には、外交・国際関係上の利害や目標と共に、それぞれの国内事情も影響を与えていた。例えば、「アラブの春」の政治変動を経たチュニジアでは、釈放された元政治犯の中にイスラム過激派の活動家が多数含まれており、彼らがモスクを拠点にシリアへの戦闘員の勧誘・送り出しに関与した模様である。
また、リビアでもカダフィー政権放逐の際に乱立した民兵の一部がシリアに転戦することが、リビア国内の混乱を回避するため黙認されたようである。サウジアラビアやクウェート等の湾岸諸国でも「イスラム国」などのための資源の調達が半ば公然と行われ、著名な政治家やNGOが関与した。