2024年4月19日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2014年11月14日

11月10日に開かれた日中首脳会談について、識者の評価は割れている。富坂聰氏は「やるべきだったのか」と疑問を呈し、小谷哲男氏は、会談によって日中がスタート地点に立ったと一定の評価をしながらも、今後対話を進めていくうえでの不安要素を指摘する。また、佐々木智弘氏は会談実現に至った中国側の事情を、『人民日報』をもとに解説する。本稿では、合意文書を読み解きながら、会談を実現せざるを得なかった中国の事情を明らかにし、今後の日中関係を展望する。

 2014年11月10日、北京で開催していたアジア太平洋経済協力会議(APEC)にあわせて日中首脳会談が約2年半ぶりに実現された。

 会談実現の5日前、筆者は本コラムで「中国政府は日本との首脳会談に応じる方針をほぼ固めたのではないかとの結論に達している」(記事参照)と述べたが、その後の展開はまさに予測した通りであった。一時は不可能だと思われた安倍晋三首相と習近平国家主席の会談は現実に行われたのである。

写真:ロイター/アフロ

日本は「尖閣」でも「靖国」でも譲歩していない

 会談実現の3日前、日中両国政府の安全保障・外交の責任者が徹夜の交渉を通じてまとめた一通の合意文書を発表した。その時点で、首脳会談の開催は事実上決まった。つまりこの合意文書こそ、会談実現の決め手となったわけである。

 日本の一部のメディアや論客たちは、この合意文書の内容を問題として、「日本が合意文書において従来の立場を後退させて中国に譲歩した」、「日本が譲歩したからこそ中国が会談に応じた」との論調を展開していた。しかし真実は果たしてそうだったのであろうか。

 中国は以前から首脳会談開催の前提として、「尖閣に関する領土問題の存在を認める」と、「安倍首相は靖国神社を再度参拝しないと確約する」という2つの条件を日本側に突きつけてきたが、件の合意文書は、果たして中国側の出した条件を受け入れて日本の立場を後退させたものであるかどうか、それが問題なのである。

 この問題を論じるには当然、合意文書の文面の解読から始めなければならない。


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