私が子供の時からずっと眺め親しんできた蝶の図鑑は、横山光夫著の『原色日本蝶類図鑑』である。そのギフチョウの項には、
「……3月末から羽化し5月初旬におよぶ。関西では4月10日頃が最盛期のようである」
と書かれていた。アゲハとしては小形の、黄と黒の縞模様に赤や青の紋のあるこの蝶に、子供の私はどれほど憧れたことか。
中1になって、どうしてもこれを採ろうと思った。産地は二上山だという。しかし「無風晴天の日の午前中」に、食草カンアオイのある疎林から散りゆく花びらのように舞いだすのだが、「午後は高く、しかも速く飛びたつ習性があるので捕え難い」とも書いてある。
天候の変わりやすい春先の「無風晴天の日」で、学校があるから日曜でなければならない。そううまく条件がそろうだろうかと、私は冬の間からやきもきした。
二上山に登るには近鉄南大阪線の上ノ太子とか二上山とか当麻寺(たいまでら)とかどこで降りてもいい、というのだが、ギフチョウに逢えるのはどの駅からのルートだろうか、と私は大いに悩んだ。
それまで長い病気をしていたので一人で遠くまで電車に乗ったことがない。心配した母がついて来てくれることになった。
精いっぱい早起きしたつもりだが、母の仕度もあって、二上山の駅に着いた時はもう午後の1時をまわっていた。
山の方に歩いて行くと、向こうから捕虫網を持った大学生風の人が来た。同じく捕虫網を持ったこちらの姿を見て、
「やあ、3頭ほど採りましたよ」
と言い、三角紙に包んだギフチョウを見せてくれた。生きたギフチョウは薄いパラフィン紙の中で身をもがき、肢を動かしてシャリシャリという音をたてた。
路は登り坂になり、杉の疎林になったが蝶の姿はない。長い苦しい登山を続けていると、小さな神社のようなものがあった。
「大津皇子さんのお墓やわ」
と母が言った。
24歳の皇子は天武天皇の死後、謀反のかどで死を賜ったという。
ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴くかもをけふのみ見てや雲がくりなむ
(大津皇子 巻3─416)
池の面に鳴き騒ぐ生命力に満ちた鴨。それを見る自分は心ならずも死なねばならない。少年の私に死のイメージをくっきりと教えたのはまさにこの歌である。
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