この大震災の全貌がほぼ明らかになった頃、高校生たちにアンケートを実施したところ、震災の悲惨さに心痛めた多くの生徒が「早く、地震予知ができるようになってほしい」「地震予知の研究を進めてほしい」という主旨の感想を書いた。これまでいかに、国や研究者やメディアが国民に地震予知に期待を抱かせていたかがわかる。
私は、その生徒たちに、冒頭の毎日新聞の「日曜討論」の新聞記事のコピーを配布すると共に、何が最も大切なのかを考えさせた。
阪神・淡路大震災では、その後の調査等によって、死者の8割が家屋等の倒壊による圧死。家具の転倒による圧死を含めると9割以上ではないかと推定されている。
大震災による死亡の大きな原因は、地震で死亡しているのではなく、「家屋の倒壊・家具の転倒」や「火災」、「津波」などで引き起こされている。
徐々に地震のメカニズムが明らかになる中でわかったことは、日本中、いつどこで大きな地震が起こってもおかしくないということだ。
そのような日本で、防災・減災のために大切なことは、阪神淡路大震災のような直下型地震であれば、「耐震設計・耐震工事」「家具の固定」「防火設備・体制の充実やそのための都市計画」、さらに、東日本大震災のような海溝型の地震であれば、「津波から避難できる設備・体制の確保」だ。
海溝型の地震であれば、少し地震動が来るまでに時間があるから、交通網への警報措置や、緊急地震速報なども一定、減災に役立つだろう。これらの研究・開発が進むことはのぞましい。しかし、これらは「予知」ではなく、地震が起こってからの対策である。
したがって、国が予算をつぎ込むべきことは、地震の予知でも予測でもない。いつどこで地震が起こっても、災害を少しでも減らすための対策であることは明らかだ。
国が、研究者たちとともに、地震の予知や予測に興味関心を持ち過ぎていると、国民もそれに期待をしてしまい、本当の防災・減災の施策や教育が疎かになってしまう。
国民に知らしめるべきは、「日本国内はいつでも、どこでも、大きな地震が起こる可能性がある」という知識と実感だ。そのことは、「防災の日に思う-地学教育を空洞化させた文科省と教育委員会の責任は重い」にも書いた通り、文部科学省が国民全体に地学教育をきちんと受けることができるような施策をとることで実現する。
地震予知は仮にできても意味が無い
「30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率が何%」というような「確率論的全国地震動予測地図」では、それが25%のところもあれば、5%のところもある。その確率が本当に正しいとしても、この確率の違いにどれだけの意味があると言えるだろうか? そもそも、30年以内のいつなのかも全くわからず、どうしようもない。
この地図を公表する側は、使い方として、地域内の学校などの耐震工事を進めていく際の優先順位を決めるときの参考になる、等としているが、国や文部科学省には、このような地図の作成にかける予算をも、耐震工事の予算に充てていくくらいの価値観の変更をのぞみたい。または、全ての家庭に家具を固定するための器具を配布する予算に充てることもより優先されるべきだと思う。確率の公表よりは、「耐震が不十分な古い2階建ての民家に住んでいる人は、2階で寝る習慣を」と広報することの方が命を救える、というのが阪神淡路大震災の教訓の1つだ。
短期の地震予知についても、東海地震など地域によっては可能だ、あるいは、地中の電気の伝わり方や、電磁気に起因する気象現象の研究を進めたり、GPSなどで地殻変動の詳細データを分析すれば、地震の前兆を把握することが可能になるという主張もある。ある条件下では、月の潮汐力が地震発生の引き金になる、という統計の分析も含め、全て、興味深く、何らかの関連性は導き出せるだろう。
プレートテクトニクスの理論によって、日本が地震大国であることが理解できた以降も、様々な研究によって、個々のプレート境界や断層面のアスペリティ(断層の境界面で、より強固に接着しているためにずれるときに大きな加速度の地震を引き起こす場所)についてもわかってきたという成果もあるだろう。
しかし、圧力のかかった岩石の破壊は、偶然に左右されるものであり、個々の地殻岩石の成分、アスペリティの強度など、あまりにも多くの要素が関わる複雑系であり、そもそも、日時も地域も、そして、断層がずれる面積や加速度も、偶然に左右される。また、大地震は、小さな地震が引き金となって、偶然、大きな地震に連鎖したものであるという見方もできる。