快感はよくも悪くも、人を導く羅針盤
私たちは、あらゆる「非日常」の経験から夢心地の快感を引き出せる回路を与えられたわけだが、一方で、この回路は、コカインやニコチンやヘロインやアルコールなどの刺激物によって、たやすく乗っ取られてしまう。「快感のダークサイド」、依存症である。
依存症の特徴である耐性(快感を得るための必要量が増す)や渇望、離脱症状、再発といった恐ろしい側面の根底には、おそらく神経機能の変化があるという。内側前脳快感回路内のニューロンやシナプスの電気的、形態的、生化学的機能の長期にわたる変化で、こうした変化は、脳のほかの部分で記憶を貯蔵するときに用いられる神経回路の変化とも、ほぼ同じものであるらしい。
記憶と快感と依存症はこのように密接に絡み合っているわけだが、経験を通じて快感回路に変化を起こすのは、依存症だけではない。
<私たち人間は、本能から離れたまったく《任意の》目標の達成に向けて快感回路を変化させ、その快感によって自らを動機づけることができるのだ。その目標が、進化上、適応的な価値を持つか持たないかは問題ではない。>
クイズ番組でも、スポーツ競技でもかまわない。もっといえば、単なる観念でさえも、人間の快感回路を活性化できるのだ。
<快感に関する限り、人間の持つこの節操のなさは、私たちを素晴らしく豊かで、そして複雑な存在にしてくれている。>
なるほど、快感とは必ずしも、コントロール不能なアリ地獄のようなものではない。対象を自由に選び、それに向かって自らを強く動機づけることのできる羅針盤(コンパス)にもなりうる。『快のコンパス』という原題には、快感はよくも悪くも、人を導く羅針盤である、という著者の深い思いが込められている、と気がついた。
依存症の発症は本人の責任ではないが、依存症からの回復は本人の責任である、と著者がいうように、強固につながれてしまった接続に抵抗する別の接続を意識的につなぐことは、けして不可能ではない。
そうしてみると、「何でも望みの対象を(生存や繁殖の必要性とは無関係に)快感刺激にしてしまう柔軟性」は、私たちへの天恵といえるかもしれない。私たちは自らの意思で、この天恵をもっと積極的に活かすこともできるのではないか。
快感の生物学的な基盤を理解することは、依存症に関わる道徳的あるいは法的な側面や、こうした快楽の市場を操る産業について、根本的に考え直す契機ともなる、という著者の指摘に同感である。
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