淡墨桜の開花予想
ふたたび根尾谷の淡墨桜の話に戻ろう。
淡墨公園のすぐ近くに住む藤原博龍(はくりゅう)さんは60年余、この巨桜を撮影しつづけている人だ。中学生のとき、裏山から薪を運んで得たこづかいをため、おもちゃに毛の生えたようなカメラを買った。
「何を撮っても失敗ばかり。ところが、満開の淡墨桜を写したら、なんとピントも明るさも鮮やかに決まっていて……」
運命にも思えた。よし、この桜を撮ろう。その決意が、社会人となっても仕事のかたわらつづき、退職後もつづいているのだ。
昭和24年、その前年に文部省から余命3年足らずと宣告されていた淡墨桜の蘇生に立ち上がったのは岐阜市の歯科医師だった。数人の大工とともに行われる238本に及ぶ山桜の若根との根継ぎの大手術を、小学生だった藤原少年は食い入るように見つめつづけた。少年に気づいた老翁は厳しい形相でこう言う。
「坊、こっちへ来い。いいか、ようく見ておくのだぞ」
少年は縮みあがったが逃げ出さなかった。
「ぜったいこのことを忘れたらあかん、と子どもごころに思ったもんや」
たしかに古稀を過ぎても忘れることはなく四季を通して桜のもとに通いつづけている。
その歴史の賜物が、平成7年ごろから始めた開花予想だ。勘に頼るのでなく、過去のデータの積み重ねと、蕾の念入りな観察から出す予想は毎年ずばり的中している。
今年はどうでしょう?
「まだ分からんよ」
予想のプロとしては無責任なことは言えない。そこをなんとか……。
「まあ、この冬は雪が多かったから、そうやなあ……」
4月中ごろか、いやもっと早いかと勝手に解釈しておくことにしよう。ともあれ、美濃に爛漫の季節はほどなくやってくるのだ。
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