「きっかけは、『これだ!』という感覚だけでした。頭じゃないですよね。成蹊大には留学がしたくて入ったのに、身体がアルティメットの方に行ってしまって、もう次の日にはディスクを投げていました(笑)」
その森はアルティメットを始めて間もない1年生のときに、とてつもない目標を立てている。その内容がなんとも大きい。
1つ目は「学生日本一」、2つ目は「社会人日本一」、3つ目は「世界クラブ選手権で優勝しクラブ世界一」、そして4つ目は「日本代表になって世界一」を達成するというものだ。要するにアルティメットのほとんどのカテゴリーで頂点に立つということである。
「へたくそな時にその目標を立てていたのです。今考えれば凄い夢だったと思いますよ(笑)。当時の成蹊大学に優勝経験はありませんから、いくら私が優勝するんだと言っても、1度も優勝したことがないのにどうやって勝つというの? という声が周りにはありました。でも、私の中では『優勝するんだ』と決めてやっていました。私は明確な目標がないと頑張れないタイプなのです」
森は最初の目標である「学生日本一」を大学4年で達成した。その前年初めて決勝に進出し、翌年成蹊大学アルティメットチーム「リベロス」は創部以来初の快挙を成し遂げた。
まさに有言実行の人である。
だが、卒業直後、社会人として迎えた春に人生最大の転機が訪れる。
日本代表落選から学んだこと
「私の競技人生最大の負けは、2000年4月に日本代表の選考会で落選したことです。
選考は一発ではなかったと思います。30人くらいに絞られていって、最後に監督から名前を呼ばれた人が日本代表なのですが、そこに私の名前はありませんでした」
日本代表選考会で感じた自身の弱さをこう語る。
「最初の目標が学生日本一ですから、チームとして強くなろう。チームとして日本一になろうと、常に私の意識にあったのは『チーム』のことだけでした。それまで弱かったチームが3年で決勝戦に進み、4年で初優勝ですから成功ストーリーではあるのですが、振り返ったときに、自分とはいったいどんなプレーヤーで、自分の強みは何なのかとは考えて来なかったことに選考会で気づきました」
「日本代表選考会は選手個人を選ぶわけですから、その場で私の弱さが出てしまったということです」
最終日の前日、選考委員から「友紀の良いところがまったく出ていない」と指摘されていた。