韓国の「読み方」

2015年7月28日

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澤田克己 (さわだ・かつみ)

毎日新聞記者、元ソウル支局長

1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15~18年論説委員(朝鮮半島担当)。18年4月から外信部長。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『韓国「反日」の真相』(15年、文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)、『韓国新大統領 文在寅とは何者か』(17年、祥伝社)、『新版 北朝鮮入門』(17年、東洋経済新報社、礒﨑敦仁慶応義塾大准教授との共著)など。訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。

 一方、交渉の途中経過を知る立場である宇都隆史外務政務官(自民党参院議員)は登録決定翌日の6日、フェイスブックに一連の経緯を書き込んだ。宇都氏は、「委員会が開催されるや急きょ韓国側は、ステートメントにおいて『強制労働』を主張するとの合意反故を言ってきました」と韓国への憤りを表明しながら、「結果として元々外相会談で合意されていたそのままのラインで決着した」と説明した。

 他の関係者の話も総合すると、日本は外相会談で、世界遺産委員会での発言に「forced to work」という表現を使う方針であることを説明した。韓国はそれを受けて、登録反対の姿勢を撤回することにした。日韓両国とも、この点に関する証言は一致している。

 問題は、外相会談の時点でどこまで合意されていたかである。日本側は当初、「遺産登録の対象は1910年までであり、朝鮮人の徴用が行われた大戦末期とは時代が違う」と主張していた。ちなみに「1910年まで」とした理由は、「ロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになった」(石破茂内閣府特命担当相)という理屈だ。ただ、少なくとも私の周囲には、日本の近代史を画する日英博覧会というものがあったことを知っている人は一人もいなかった。

 韓国側はイコモスの勧告直後には「登録反対」という立場だったが、「さすがに非現実的」(韓国紙記者)という声が強く、その後、日本との交渉では「徴用があった歴史をきちんと説明せよ」という要求に変えていた。そのため外相会談では、日本がどういう説明をするかということが焦点になっていた。

 日本側は外相会談で「日本がforced to workという表現を使うと表明し、韓国側も同様の対応を取ることになった」と説明するのだが、韓国側の説明は全く違う。韓国政府当局者は「外相会談では、日本が『forced to work』という表現で強制徴用に触れることが確認されたから登録への協力で合意したのであって、韓国側の発言は話題になっていない」と話すのだ。この部分での理解の食い違いが後に大きな問題を生んだと言えるのだろう。

「強制労働を初めて認めた」を巡る誤解

 日本での反発が大きくなった原因の一つは、登録決定後に一部の韓国メディアが「日本が強制労働を初めて認めた」と報じたことだろう。これに対して日本政府は「強制労働を認めたわけではない」と説明し、韓国メディアは「日本がごまかそうとした」と反発した。韓国の大手紙が持つ日本語版サイトに翻訳記事が紹介されることで、日本側では反発がさらに強まった。

 この点と関連して、登録決定後の担当閣僚である石破茂内閣府特命担当相は7月17日に自身のブログで、「日本政府代表団が forced to work という語を用いたことが、韓国側から『日本が強制労働を認めた』と意図的に宣伝された」と不快感を表明している。

 石破氏の理解は一般的なものと考えられるが、日韓関係を長く見ている専門家たちを困惑させるものでもある。韓国政府はあくまでも「強制労働」という言葉の対外的使用は避けたからだ。前述の佐藤議員のブログは、この点について「実際、韓国が発表した文書でも『強制労働』に相当する韓国語は使用しておらず、『強制的な労役』としています」と紹介している。

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