日本政府や多くの専門家はこれまで、「日本政府の公式な謝罪」と「一部政治家の問題発言やメディア報道」を区別してほしいと韓国側に言い続けてきた。村山談話や小泉談話できちんと謝罪したのが日本政府の公式な立場なのだから、一部の問題発言をとらえて「日本の反省は信用できない」などと言ってもらっては困るということだ。石破氏も「韓国側」としか書いていないが、それでも「公式な政府見解とそれ以外を混同している」と批判される余地が残る。かなり敏感な問題であるだけに、もう少し慎重であるべきだっただろう。
日本の主張「国際法的にはまったく違う」
そろそろ本題の「forced labor(強制労働)」と「forced to work(働かされた)」の違いに入ろう。既に多くのメディアで指摘されているように、一般的には同じ意味に見えるフレーズだが、日本政府は「国際法的にはまったく意味が違う」と説明している。
最大のポイントは、日本が1932年に批准した国際労働機関(ILO)の強制労働条約第1条および第2条第2項との関係だ。第1条は「一切の形式における強制労働の使用を廃止する」と定めている(ILO日本事務所のサイトにある文語体の日本語訳を口語にした)。英文を見ると、「強制労働」は「forced or compulsory labour」だ。そして、条約でいう強制労働に当たらない場合を規定した第2条第2項(d)に、戦争や地震、洪水、飢饉などを例示した「緊急の場合」に強要される労務が挙げられている。
日本政府は、国民徴用令に基づいて行われた徴用は第2条第2項(d)に該当するので強制労働ではないという立場だ。国民徴用令は1944年9月から朝鮮にも適用されているので、それ以降に行われた朝鮮人の徴用も合法だったということになる。日本政府高官は登録決定後、「forced laborを使うと第1条のみが連想されて誤解を生むといけないので、forced to workを使った」と説明している。だから、韓国が「forced labor」という表現を使うことは受け入れがたいという判断になったのだ。
日本では「forced to work」という言葉にも拒否反応を示す人がいる。7月15日の自民党外交部会等合同部会でも、日本政府代表団がこうした表現を使ったこと自体が納得できないという意見が出された。ただ、日本国内で日本人を対象に行われた勤労動員を含め、自らの意思に反して労働させられることがままあったことは否定しがたい。給与についても、少なくとも未払いのままになっているものがある事実は否定できない。