Wedge REPORT

2015年8月6日

»著者プロフィール
閉じる

磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

経済ジャーナリスト

1962年東京生まれ。1987年早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年3月末で退社、独立。現在、経済政策を中心に政・財・官を幅広く取材、各種メディアに執筆するほか、講演やテレビ出演、勉強会の主宰など幅広く活躍している。オフィシャルHP(http://isoyamatomoyuki.com/)

著書に『2022年、「働き方」はこうなる』(PHPビジネス新書)、『理と情の狭間 大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP)、『国際会計基準戦争 完結編』(日系BP)、『ブランド王国スイスの秘密』(日経BP)など。共著に『オリンパス症候群 自壊する「日本型」株式会社』(平凡社)、『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。

早稲田大学政治経済学術院(大学院)非常勤講師、上智大学非常勤講師。ボーイスカウト日本連盟理事。静岡県ふじのくにづくりリーディングアドバイザーも務める。

日経ビジネスオンライン(日経BP)、現代ビジネス(講談社)、フォーサイト(新潮社)、月刊 WEDGE(ウェッジ)、月刊 エルネオス(エルネオス出版)、フジサンケイビジネスアイ(産経新聞社)などに連載コラムなどを持ち、定期執筆している。

 2日目のお昼には、皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)と礼宮殿下(現在の秋篠宮殿下)もキャンプサイトを訪れ、浩宮殿下(現・皇太子殿下)とスカウトたちが作ったカレーライスを召し上がられたそうだ。

 当時の曽我剛・東宮侍従がこの時のスカウトたちメンバーのグループに、殿下のお印の「梓(あずさ)にちなんで「梓友隊」(しゆうたい)と命名。その後も交流が続いているという。

撮影:生津勝隆

 1986年の日本ジャンボリーでは別の代表スカウトたちとのキャンプ生活も経験されたほか、その後のジャンボリーも欠かさず参加されている。 

 2010年に皇太子殿下がケニアを公式訪問された際には、ニィエリ市にあるホテル・アウトスパンに立ち寄られた。実はこのホテルの敷地内には、スカウト運動の創始者だったベーデン=パウエル卿(B-P)が終の棲家としたコテージ「パックス・トゥ(Paxtu)」があるほか、B-Pと妻オレブ・ベーデン=パウエルの墓所もある。熱心なボーイスカウトでも中々訪ねることができないスカウトの「聖地」だ。

 公表されている公式日程にはコテージを訪ねた事実は記載されておらず、スカウト関係者も長年それを知らなかったそうだが、梓友隊のメンバーに会われた際に、殿下ご自身から「B-P のコテージに行ってきました」と明かされたという。

 英国に行かれた際には、B-Pが1907年に20人のスカウトたちと最初の実験キャンプを行ったブラウンシー島も、殿下自身のご希望で訪問されている、という噂がボーイスカウト関係者の間には流れているが、まだ公式には確認されていないという。

 実は、皇太子殿下との交流以前から、ボーイスカウトと皇室の関係は非常に太い。

 1921年に訪英した昭和天皇(当時は皇太子)が、ロンドンでB-Pを謁見。その際、英国ボーイスカウトの最高功労章である「シルバーウルフ章」の献上を受けられている。

 ボーイスカウト運動はそれ以前から日本に伝わり、全国に団ができ始めていたが、正式にスカウトの国際組織に加盟したのは、昭和天皇のB-P謁見の翌年の1922年。昭和天皇はのちに、「日本にボーイスカウトを伝えたのは私です」とスカウト関係者に仰っていたと伝わっている。その頃からボーイスカウト草創の頃から皇室との関係が始まっていたのだ。英国をはじめ世界の王室もボーイスカウトとの関係が深いことから、皇室とスカウト運動の関係は特別なものがあるのだ。

 今回の世界スカウトジャンボリーには、ボーイスカウト運動発祥の地である英国からは4000人を超すスカウトと指導者による大派遣団が来日した。会場を訪れた殿下は英国隊のキャンプサイトを訪問された。

 そのサイトには、前回、44年前の1971年に静岡県朝霧高原で開催された「13回世界スカウトジャンボリー」の写真や参加記章などが展示されていた。その写真には当時の皇太子殿下ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)のお姿が残っていた。その写真を皇太子殿下がご覧になったかどうかは、まだ確認できていないという。

写真撮影:生津勝隆 

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

関連記事

新着記事

»もっと見る