ぼくはボブ・ディランの『ビフォー・ザ・フラッド』というライブ盤のジャケットを思い出した。聴衆がライターやマッチの火を掲げてスタンディング・オヴェイションを送る、その光が一面に映っているジャケットだ。消防法によって姿を消した光景が、いまスマホによって二月堂に甦る。
打ち振られる松明の数は十本。時間にして20分ほどだが、すでに身体は芯から冷え切っている。早く熱燗で一杯やろうと、ただそれだけを考えて、ぼくたちはわき目も振らずに二月堂を後にした。
万葉まほろば線で天理へ
二日目はJRで天理へ向かう。この路線には「万葉まほろば線」というロマンチックな名前がついている。「まほろば」の「まほ」は、漢字で書くと「真秀」で「本当に素晴らしい」という意味。
『古事記』の倭健命の歌(『日本書紀』では景行天皇の歌)、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣山隠れる 倭うるはし」が有名だ。その名前に惹かれて、ぼくたちも万葉まほろばの旅を企てることにした。大和平野の東側、三輪山の山裾を縫って南北に延びる道は「山の辺の道」と呼ばれている。石上神宮を出発点として、仏教伝来の地である海柘榴市まで、約11キロの行程である。全部を歩くのは大変なので、途中、JRなども利用しながら行くことにする。
じつは小平さん、おそるべき晴れ男なのだ。お天気にかんして、ぼくは全幅の信頼をおいている。というわけで、晴れました。竹林を渡る風はやさしく、どこからともなく甘い花の香りを運んでくる。低く剪定された柿の木は、芽吹きにはまだ少し早い。複雑に折れ曲がった枝を四方八方に伸ばしながら、雲一つない空の下に並んでいる様子は、さながらモダンなオブジェだ。
晴天に映える紅い梅の蕾、民家の庭で膨らみかけている木蓮……いい気分で写真を撮りながら歩いていった。小平さんが小型カメラに装着しているライカのレンズは、70万円ほどのお値段。「パリン!」と落とせば70万という、とってもハイリスクなブツだ。一方、ぼくのカメラは安物のデジタルだけれど、気分はすっかり入江泰吉である。日溜まりで数匹の猫がのんびり昼寝をしている。大和路の猫たちは、この世に危険や脅威が存在することを忘れてしまっているようだ。そんなことでいいのか、きみたち? たぶん、いいのだろう。ぼくも今日は一日、猫たちを見習って、思い切り無防備になることにしよう。
道端に無人の店が出ている。里芋も大根もカボスも、どれも1盛り100円、1袋100円で無造作に置いてある。もちろん番をしている人などはいない。このあたりでは猫だけでなく、人まで無防備なようだ。いいなあ。ぼくはお金を入れて、八朔を1袋買った。こんなポトラッチみたいなことが成り立つのは、ベーシックなところで人と人の信頼関係が損なわれずにあるからだろう。そうした信頼の基盤が、いまの日本では急速に失われつつある……といったことは、いまは考えないことにする。
はじめて訪れる場所なのに懐かしい。そんな感じを与えるところは、人々の暮しが長く変わらずに営まれているところだ。いくら古い神社や仏閣であっても、時間の連続性が感じられないところに、ぼくたちは懐かしい感じを抱くことはない。それは歴史資料みたいなものだ。時間は凍結され、切断されている。時間とは、ただ物理的に流れるものではない。人々の暮しが一日一日と積み重なることによって、年々歳々の営みのなかから時間は生まれてくる。
たとえばいま、ぼくたちが歩いている道にしても、人の往来が数ヵ月も途絶えれば、たちまち草や木が生い茂り、道は消えてしまうだろう。アスファルトやコンクリートで道を固めてしまう以前は、とくにそうだったはずだ。人が歩くことによって道はできる。人が歩きつづけることによって道は保たれる。その道が千年の時を超えて在りつづけることの尊さを想う。連綿とつづく人々の営みに心を通わせるとき、ぼくたちは思わず知らず、「懐かしい」という感じをおぼえるのかもしれない。