川内原子力発電所1号機が再稼働した。最大電力需要が発生する今の時期ですら電力が足りているのに、なぜ再稼働するのかとの意見が聞かれる。電気は大量に貯めて利用するには大きな費用が掛かることから、必要な電気の量を常に発電する設備が必要だが、1年のうちで電力需要が最大になる今の時期でも設備に余裕があるから、再稼働の必要がないと思っている人が多くいるようだ。
現状の発電設備の詳細を見ると供給力に問題があり、原発からの電気が必要なのだが、再稼働が必要な理由は他にもある。電気料金の上昇を抑制すること、日本の安全保障を高めること、温暖化問題に対処することだ。日本においてエネルギーを調達する際には、コスト、供給の安全保障、温暖化、安全性を考慮する必要があるとエネルギー政策では考え、4要素を最も満足させるようにエネルギーの種別、地域を分散した調達を目標とする。
日本のエネルギー政策が以前からこの4要素を考え、実行されていたわけではない。国が様々な経験をする過程で辿り着いた結果が、今のエネルギー政策だ。日本のエネルギー政策がどのような過程で成立したのか振り返り、再稼働により原子力が加わることで、現在の政策にどのような影響があるのか考えてみたい。
エネルギー政策の成立
第二次世界大戦後経済を立て直す必要に迫られた日本は、復興に最も必要とされた鉄鋼とエネルギーに生産資源を集中的に投入する。傾斜生産と呼ばれたこの政策で重要とされたエネルギーは国産の石炭だった。国内炭の生産は急増するが、やがて中東において大規模生産が開始された安価で扱いやすい石油に徐々にシェアを奪われる。
石油との価格競争を迫られた国内の石炭会社は合理化を開始し、1959年から60年の三井三池争議のころの年間5000万トンの生産をピークとし、採炭条件が悪く価格が高い国内炭の生産は減少の一途を続ける。エネルギー政策で重視されたのはコスト、価格だったために、国内のエネルギー供給は石炭から輸入される石油に急速に切り替わる。
1973年秋に発生した第一次オイルショックは、コスト重視の政策に冷や水を浴びせることになった。石油の価格が4倍になったのと同時に、中東にエネルギー供給の大半を依存している危うさに気づかされることになった。日本は一次エネルギー供給の約4分の3を石油に依存していた。発電でも石油の依存度は高かった。図-1が1973年の日本とドイツの発電源のシェアを示している。ドイツの石炭は国内炭が主なので、日本と事情は異なる。
エネルギー安全保障、分散の重要性を認識した日本企業は、石炭へ回帰する。採炭条件が悪く価格が極めて高かった国内炭ではなく、石油より価格競争力があった豪州、米国、カナダなどの石炭だ。国内炭から石油に使用燃料を転換していた発電所が、海外炭使用に再度転換し、さらに、海外炭を使用する発電所の計画が相次いだ。