国民は、しがらみや癒着のない民主党に利権政治の打破を託しました。しかし、マニフェストで自動車関連諸税の暫定税率廃止を掲げても、道路インフラの拡充を求める議員の存在が見え隠れしています。同じくマニフェストで掲げた日米FTA(自由貿易協定)の締結推進も、農業団体や「農業族」の反発を受けて大幅にトーンダウンしました。民主党にも労働組合などの「圧力団体」がありますし、地元のない議員はいません。
政府与党一元化のモデルである英国では、日本に比べ政党のグリップがはるかに強いと言われています。新人は地盤のない選挙区に落下傘で放り込まれ、やっと当選しても国替えは頻繁です。政治家は政党によって長い時間をかけて鍛え上げられ、国民は政党に投票します。地元への利益誘導では票になりません。だからこそ党のもとに一枚岩になりやすいのです。そういう基盤は民主党にはまだありません。
内閣への100人送り込みも閣僚委員会も決して悪くありません。しかし、それらは手段にすぎません。自民党時代はまるで仕事をしなかった副大臣や政務官が、官僚以上の働きをできるのかどうか。官僚の力を頼らずに閣僚が与党内の大切な利害調整をできるのかどうか。日教組や自治労といった支持母体の反発を説得できるのか。民主党の政治家が、利権誘導という政治家の性を乗り越えることができるのかどうかが問われています。
○○会議といった仕組みづくりばかりに、いつまでも傾注しているようではいけません。そのような形ばかりの「政治主導」が進めば進むほど、屋上屋の組織体間の調整は結局、官僚が担うことになり、「脱官僚」は絵に描いた餅となることでしょう。
本丸は公務員制度の再構築
これまで「脱官僚」のために必要な政治の側の意識改革、能力向上について述べてきましたが、「脱官僚」の本丸は、政治家の改革と連動する形での官僚側の改革です。しかし、それは渡辺嘉美氏らが主張するような、政治家が官僚の人事権を掌握し、とにかく官僚には政治家の言うことを聞かせればいいんだというような改革ではありません。
なぜなら、官僚の本当の問題は、長く続いた自民党政治のなかで、国益のために高い専門性を研鑽することよりも、省益を高める政策の遂行のために、政治家に気に入られることに熱中していることにあるからです。「局の総務課長クラス以上では、政治家との調整が下手だと出世できない」(ある事務次官経験者)のです。
最近『霞ヶ関維新』を著したプロジェクトKの芳野行気氏(元環境省)はこう言います。「できる局長は、アンテナを張って危なそうな議員を見極め、フットワーク軽く早め早めに根回しを済ませておくことができる。政治家対応能力が官僚にとっての評価ポイントになる」。
霞が関をよく知る研究者は、「選挙事情や政治家のプロフィールに詳しい官僚が多い」「課長以上は政治家のイエスマンばかり」と嘆いています。竹下内閣から村山内閣まで官房副長官を務めた石原信雄氏も、「幹部クラスでも政治家に進言する気概がなくなってきた。能力というより環境の問題だ」と言います。