政治家は「視察」として、海外に学びに行きます。「時には、何をしているのやら?」という話もでますが、いろいろものを見聞、新しい視点を得るのは重要なことです。ただ最近は、国内、海外を問わず出張には厳しくなりました。用を済ませたらすぐ帰れというわけです。そういうわけですが、最大3時間位でしたら、なんとかなりそうです。
という屁理屈を付け、ベルリンで、3時間くらいで、その地だからできることを、いろいろしてみました。まずは、今話題の国立競技場問題を考えるために、ベルリン・オリンピックスタジアムに足を伸ばしてみました。
ベルリン中央駅から30分
ベルリンは、歴史的には軍事都市として建設されました。東西ドイツ統一の象徴と言われるブランデンブルグ門から東に延びるウンター・デン・リンデンと、ブランデンブルグ門を通過はしていなのですが、ウンター・デン・リンデンと垂直に交わる南北に走るフリードリッヒ通り。これがベルリンにおける基本の「通り」になります。
そのウンター・デン・リンデンに対し、蛇行しながらも平行に流れるシュプレヒ川、そしてSバーン(高架を走る私鉄)が通ります。Sバーンは、いくつも路線があるのですが、その中の1つは「リング」と呼ばれる環状線でベルリンの市街地を廻ります。ようするに山手線と中央線(シュプレヒ川沿いが中央線)の交通網を作り出します。
この環状線のSバーンから、1つ西(外側)に行くとメッセベルリン(IFAの会場)、そして、あと2駅西に行くとベルリン・オリンピックスタジアムがあります。オリンピック・スタジアムまではベルリン中央駅から、乗り換えなしで、約30分。非常に交通の便がイイ所です。
ベルリンオリンピックスタジアムはナチスの遺産
ベルリンオリンピックスタジアムは、1936年のベルリンオリンピックのために建設されました。作ったのは、1933年に政権を握ったナチス党。党首はあのヒットラーです。1000年帝国を目指したナチスヒットラーは、1933年にベルリンを世界首都「ゲルマニア」にする計画をしています。オリンピックスタジアムは、その計画の一部です。現地に着くと圧倒されるのは、敷地です。使われていないエリアが広い。1000年経つと、人口も当然増えますし、想定外などはある話と考えたのでしょう。その時、余地があるのとないのとで大きな差がでます。
東京の国立競技場のようにキチキチだと、どうしようもありませんが、これだけ余地があれば、いろいろな対応が可能です。
次は、交通網です。ポイントは終了時。来る時ではありません。終了時は一気に人が動きますから、この人数をさばく能力が必要です。先ほど述べたSバーンですが、なんと8ホームあります。臨機応変なスケジュールを組めば、かなりの人数をこなすことができます。出入口も、臨時用のモノをしっかり持っています。駅からスタジアムまでの道もかなり広い。2列で歩くのではなく、そうですね、6人で話しながら歩いても問題ないレベルです。
今の説明はSバーンの話ですが、スタジアムの逆側にはUバーン(地下鉄)もあります。さらにいうと、先ほどのブランデンブルグ門、ウンター・デン・リンデンに、このスタジアム横から直線道路が延びています。これもナチスの遺産ですね。東西大道路です。アップダウンがあまりないので、自転車も使えます。敷地が大きいので、駐車場、駐輪場に困ることもないでしょうし、試合、競技の興奮冷めやらぬ人々がちょっとたむろしてもどうってことない。
国立競技場とはえらく違います。