2024年11月25日(月)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年10月2日

イチローのメジャー移籍で失職

 36歳。高卒で社会人野球チームに入団し、その後プロ入り。野球しかしてこなかった人生に別れを告げ、セカンドキャリアが始まった。

 「自分のトレーニングの経験から、トレーナーになりたいと思った」

 整体師の資格を取り活動するも、食べていけるほどの収入を得ることはできない。神戸のラジオ番組で野球解説をやり、時間があれば野球教室に出向き収入を得る日々。貯金を切り崩しながらの生活だった。

 「当時は野球に未練タラタラやった。なんとか野球に携われないかと。嫁の実家に引っ越して、そこから仕事があるところに行く。そんな日々やった」

 そんな南牟礼を変える出来事が起こる。イチローのメジャーリーグ移籍である。イチローが移籍したことにより、多くのスポンサーがラジオ番組から撤退。解説の仕事がなくなってしまった。

 一念発起し、本格的にトレーナーになることを決める。様々なトレーニングコーチの資格を調べてみたものの、ほとんどに「大卒資格」が必要だった。「もう、いろいろめんどくさいから、国家資格を取る。それで文句ないやろ」。

 プロ野球を引退して7年目。ついに専門学校に通うことを決めた。42歳にして学生の道を選ぶ。とはいえ、国家資格を取るまでには相当なお金がかかる。当時、3年間の学費や諸々の費用は約500万円。現役時代に稼いだお金は残っていない。なんとかしてお金を用意するため、日中は野球教室や整体の仕事があれば働き、夜は20歳前後の若者らと共に専門学校で学ぶ。そんな中、学校に通い始めて2年目、妻の乳がんが見つかる。

 闘病する妻の看病をしながら、学校に通い、当時まだ小さかった子どもたちの面倒をみた。「大変というか、必死やった」。シンプルな言葉に込められた当時の思い。それ以上の言葉は必要ないのだろう。

 無事卒業し、国家資格を取得した南牟礼は2007年、兵庫県西宮市にみなみむれ接骨院を開業。


新着記事

»もっと見る