「ここだけはだれにも邪魔されたくない世界で、どんどんのめり込んでいきました。高校を卒業するころには、自分で感動したものを自分で作りたいと思うようになって、メンズファッションの専門学校に入ったんです」
それまで針を持ったことは一度もなかったが、とにかく作りたい一心だったという。型紙を引き、縫製を学び、卒業後はアパレルメーカーへの就職をはたしたものの、何と四カ月後に辞めている。
「手で型紙を引きたかったけど、コンピューターで引く。こだわりたいことがあっても工場の規格に合わせて縫いやすいものでないと返されてしまう。デザインが違ってもみんな同じようできれいに見えなかった。服が工業製品のように感じられたんです」
深夜に及ぶ仕事の中で鈴木が出会ったのは、レディースのデザイナーをしていた女性。パリやニューヨークでの暮らしが長く多くのことを教えてくれたこの人との出会いがなければ、フランスに行くことはなかったという。
その後この女性が自身のブランドを立ち上げ、一緒に仕事を始めた。彼女がデザインを描き、イメージを伝え、鈴木がそれを型紙にして、カッティング、縫製を担当し製品にしてセレクトショップなどに卸す。望んでいた仕事のはずだが、この時代はとても苦しかったという。
「シャツを24回縫い直したことがあります。デザイナーの求める美しさのイメージは共有できているのに、出来上がったものが何か違う。型紙を起こして、これくらいのボリュームにしたいと思ってもそれが3Dとして実現できない。平面を切って立体がどうなるのかつかめなかった。表現したいのに、自分の能力が低くてできないということを思い知らされました。パターンを引くにしても八割まではできる。残りの二割で美しさを表現するためにどう詰められるか。あの時の葛藤や感覚が今に生きているんだと思っています」
日本のファッション業界の状況を知り、自分の限界を知り、その突破口としてフランスに飛び出す。退路を断つと、すべてのエネルギーが前に向かう。給料の安いファッション業界にしがみついていたら、渡仏費用が貯まらない。鈴木は一度身を引き、浴室のリフォーム会社の営業として夢中で働き、1年で350万円を貯めて27歳で渡仏という目的を達している。活路を求めるすさまじいばかりの執念である。