コラムの時代の愛−辺境の声−

2015年12月14日

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 私自身が米国に暮らしたわけではない。友人がそこに暮らし、旅行や取材で何度か訪れただけの国だ。過度に理想視していたわけでもない。それでも、なにがしかのチャンスがあれば、どのようなマイノリティーであってもそれなりの暮らしが保証される。何か秀でたものがあれば、出自や障害などに関係なく拾い上げてもらえる可能性があり、マイノリティーに対する差別が比較的少ない社会。私はそう捉えていた。そして、移民社会ゆえのその美徳は、時代とともに強まっていくと、当時の私は確信していた。

 だが、今回のテロで、米国は一気に国境の壁を高めるだろう。メキシコからの移民はリオ・ブラボーを越えられず、アジアからの移民は空港から強制送還されるーーそんな映像が浮かんだ。一気に崩れ落ちるツインタワーを見ながら、たまたまそこに出入りしていた掃除人や配達人ら移民たちの死を想像した。米国になんらかの希望を持って渡った人々の「可能性」が潰されることに、私は絶望的な気分になっていった。

 テロの恐怖は何だろう。それはたまたまそこに居合わせ、巻き込まれることだけではない。むしろ、それに対する国家の反応、国家の台頭を私は恐れる。

 渦のように、ハリケーンのように急旋回した米国のその後の反応は私の妄想を超え、イラクに飛び火し、結果的に私はバグダッドに何度も通うことになった。

 だが、米国の排他性はどうなっただろう。他者への排斥はどれほどひどくなったか。

 意外に、さほどでもなかった。もともと移民で栄えた国だ。国境を閉じるなどということは出来ようがない。と同時に、そこまでの意思は米国人にも、政府にもなかった。

 では、パリ同時多発テロに見舞われたフランスはどうだろう。しばらく、米国と同じように報復、閉鎖を繰り返していくだろう。だが、今回のテロのインパクトが01年のそれよりもはるかに小さかったように、欧州を閉鎖するなど、まずありえない。

 時間とともに人の移動はさほどの制限を置かれることもなく、ずるずると自由な方向へと流れていくだろう。

<テロの項、つづく>

  
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