「若いころ、高い所の仕事に慣れて、自分は落ちないから安全ベルトなんかなくても大丈夫とロープに掛けないで仕事していたんです。その時、親方にいきなり鉄骨の上から蹴り落とされた。あ、死ぬんだって思った瞬間、宙吊りになった。親方が知らない間に安全ベルトをロープに掛けていたんです。『命綱がなかったら、お前死んでたなあ』って。落ちる恐怖を実際に体験していて、命綱が命を守ってくれると実感していたから、とっさに飛び降りることができたんだと思う。だから、その親方には2度命を救ってもらったと感謝してるんです」
空中の平均台のような足場の上や鉄骨の上で、命がけで時間との戦いを繰り広げる。そんな鳶の世界に、あこがれや思い入れがあって入ってくる人はほとんどいないと多湖は言う。多湖自身も、鳶を目指していたわけではなかった。だが、建築には興味があったという。
きっかけは、15歳のときに見た大阪・梅田スカイビルの建築現場からのテレビ中継。梅田スカイビルは、40階建て173メートルの超高層ビル2棟を空中庭園で結ぶという世界初の連結超高層ビル。最後に2つのビルを、地上で組み立てた空中公園を吊り上げて結ぶ。
「テレビ中継を見ていたんですけど、家が近かったから実際に見たくて自転車を飛ばして近くに行きました。それまで見たことのない異様な光景だった。それで何となく建築の勉強をしたいなと思ったんですが、進学校じゃないし何をどうやったらいいのかわからないまま高校卒業しちゃって」
進路が定まらない18歳は、阪神・淡路大震災後の神戸の復興工事現場での仕事にバイクで向かう途中、乗用車と衝突。全治6カ月の重傷を負った。
背骨や鎖骨を骨折して、足は水に浸かったままのような感覚。懸命にリハビリをして3カ月で退院したころ、たまたま友人が鳶のバイトの話をもってきた。コルセットをしながらリハビリのつもりで働いているうちに、仕事が楽しくなってその会社に就職。ここから多湖の鳶人生が始まったということになる。