2022年10月7日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2016年2月28日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 <私は最初から、自分が診ているのは前例のない状態と状況にある人たちであり、記述されたことがない人たちだと感じていて、一九六六年に出会って数週間後には、彼らについての本を書くことを考えていた。(中略)このような病気と人生の力学という観念、わけのわからない真っ暗闇の状況で生き延びるために奮闘する有機体や主体という観念は、私が医学生や研修医だったときに重視されていた視点ではなかったし、最新の医学文献にも見られなかった。しかし私が脳炎後遺症患者を目にしたとき、それは明確で否定しようのない真実だった。同僚の大半が一笑に付してかえりみなかったもの(「慢性疾患の病院か、そんなところに興味をそそるものなどないよ」)が、彼らが考えるのとは真逆の場所であることがわかった。人々の一生がどう展開するかを理解するのに理想的な環境だったのだ。>

 こうして、オリヴァーという”落ちこぼれ医師”と”顧みられなかった患者たち”は邂逅した。『レナードの朝』は、原題のとおり、双方にとっての「目覚め」であったのだ。

人の一生の理解に導いてくれる

 本書には、医学界や科学界の冷淡な反応やあからさまな批判とともに、生涯変わらない温かく刺激的な交友も綴られている。

 映画『レナードの朝』に出演したロビン・ウィリアムズ、ロバート・デ・ニーロ、科学界の巨星フランシス・クリックやスティーヴン・ジェイ・グールド、詩人のトム・ガン(本書のタイトルにその詩の題名を借りた)、『神経ダーウィニズム』を著したジェラルド・エーデルマン、そして75歳からの恋人、作家のビリー・ヘイズら、有名無名を問わず、その道の才人たちとの会話や議論、文通は、どれも興味深い。

 まるで脳という、つねに変化し続ける機構を織り成す「魅惑的な織機」のようでもある。

 <私は「奇妙な」ものや「変わった」ものの専門家だと考える評論家も一人二人いたが、私は逆だと思っていた。本は例で構成されるべきだというウィトゲンシュタインの格言をとても気に入っていて、自分の症例を「典型」と考え、とくに深刻な例を描写することによって、神経疾患にかかることの影響と体験だけでなく、脳の組織と機能のきわめて重要でおそらく予想外の側面も、理解してもらえるかもしれないと願っていたのだ。>

 サックス先生が願ったように、彼はいわゆる患者のみならず、自らをもひとつの「例」として克明に記すことにより、脳と心の理解に、何より、人の一生というものの理解に、私たちを導いてくれている。
 

  
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