強い組織というものは、その内部に明確な順位制がしかれている。それは情報の吸収と命令の伝達をスムーズに行うことができるからである。
さて、『葉隠』では礼拝の順序を教えているが、じつはこれは家という組織の中における順位制を示していることなのである。すこし堅苦しくいえば家の中における価値体系を教えているのである。まず主君、それから親・氏神・守仏と続く。そして、一家の中では夫は主君の立場に立つのである。封建的といえばそうかもしれないが、一家を社会に対する戦う組織と考えれば、その内部の価値体系は一つでなければ弱い。その意味で、家庭における父親の座が失われていることは、家の弱体化が進んでいることでもある。反面、母親の座が確立されてきたともいえる。これは家の中に二つの価値体系ができたと考えてもよい。こういう家庭では意見の違いが多く、その調整のために話し合う時間が長いだろう。それを子供達は見ならって、口先ばかりがたっしゃになり、行動力がにぶくなってくる。父権の喪失はこのようにして家庭を弱くするばかりでなく、弱い若者をつくり社会そのものを弱体化させてしまうのである。
強力なビジネスファミリーをめざすなら、何はさておいても一つの価値体系を家庭の中にも確立しなければならない。価値体系などというと難しいことのようであるがそうではない。何が大切なことであるのかをみんなで確認することである。その中には「思いやり」を説く者、あるいは「努力・勤勉・出世」などを考える者もあろう、それは何であってもかまわない。ひとつの考え方を一家の中にゆきわたらせることが大切なのである。
もともと縁もゆかりもなかった男女が家という一つの組織をつくっているのである。生まれ育った環境も違えば、学んできた言葉さえも違うことがある。それが四六時中いっしょに寝起きするのであるから摩擦も生じることがある。そこに「自立」を叫ぶ女性の家族的契機がある。それは自由・平等という観念と結びついて、一種の社会的な発言となってきている。
しかし、そこには権利と欲望の区別のつかない未熟な発想もあることを見のがしてはならない。もともと自由とか平等とかは法の下における概念で、極めて抽象的なものである。発言する者の考え方によってどうにでも解釈することができる。それを生活の中に生かすには現実的な工夫をしないと無用な混乱を起こす。その愚を避けようとしたのが常朝のホンネであろう。
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