男女平等の考え方は、ずいぶん広まった。しかし、すべてを尊重しあって平等にすることが、ほんとうに組織のためになるのだろうか?
動物社会を見てみると、強い組織は必ずしもみなが平等な組織ではない。女王蜂しかり、ボス猿しかり。動物たちにはなぜ順位制があるか。その種を維持するためだと著者は言う。
エソロジー(ethology)という学問がある。これは動物行動学とか、比較行動学などといわれている。要するに動物の行動に関しての学問である。つまり、動物にはある一定の共通した行動様式があるのではないか、ということを研究する学問である。このオーソリティは、ノーベル賞を受賞したオーストリア科学アカデミーのコンラート・ローレンツ博士である。まずは、『葉隠』を読んでからにしよう。
毎朝、拝の仕様、先づ主君、親、それより氏神、守仏(まもりぼとけ)と仕り候なり。主をさへ大切に仕り候はば、親も悦び、仏神も納受あるべく候。武士は主を思ふより外のことはなし。志つのり候へば、不断御身辺に気が付き、片時も離れ申さず候。又女は第一に夫を主君の如く存ずべき事なり。
(現代語訳)
礼拝の仕方は、まず主君・親それから氏神、守仏の順序で礼拝するのが正しい。主君さえ大切にするならば、親も喜び、神仏もその願いを受け入れてくれるだろう。武士は主君を大切に思うことの外は何も考えなくともよい。その志がつのれば、絶えず主君の身のまわりに気がついて、一刻も注意が離れられないようになる。また、女は第一に夫を主君のように思うべきことである。
これを一読すると、随分と古めかしいことをいっていると思うだろう。夫を主君と思えなどといわれても、噴き出したくなる者も多かろう。しかし、それはものの見方、考え方の問題である。このことはコンラート・ローレンツ著の『ソロモンの指環』からうかがい知ることができる。ローレンツは、自宅にコクマルガラスを飼い、それと家族のようにして暮らしていた。そして、その行動を観察しながら、次のような結論に達する。「私は自信をもって断言できる、私のコクマルガラスの群れのメンバーの一羽一羽は、互いに相手を正確に認識しあっていると。このことは『順位』というかんたんな事実からもうかがい知ることができる。ニワトリを飼っている人ならだれでも知っているだろうが、鳥小舎の中のこのおよそ賢くない住人たちの間にも、どの鳥がどれを恐れるかという、れっきとした順位が成り立っている。ちょっと見ていたくらいではわからない何回かの対決がすむと、もう鳥たちはおのおのの自分は誰を避けるべきかを知る。この順位の成立は、個々の鳥の体ばかりで決まるのではない。個人的な勇気とか、エネルギーとか、さらにあえていうならば自信とかも、同じくらい重要な基準となる。」
(日高敏隆訳『ソロモンの指環』早川書房)
この順位制は鳥だけではなくサルなどの動物の世界にもある。なぜそういうことが生ずるのであろうか。結論からいうと、その種を維持するためである。それぞれの種の社会の中に一定の序列をつくり、安定した秩序を保つことが、外部からの攻撃に対して最も安全なのである。つまり軍隊組織のようなものである。動物の社会では、それを生まれながらにして知っていたということができる。