東京電力の本店が考えていたのは、「ドライウェル・ベント」だった。放射能汚染物質を水に通さずにそのまま外に放出する、禁じ手ともいえる方法である。
本店 「ドライウェル・ベントをやれ! 責任はこっちでとる」
吉田所長 「やってますから。ディスターブ(邪魔)しないでください!」
現場からは「ドライウェル・ベントできません!」という声が。作業区域内に人が入れば、15分以内に死亡する放射線量に達していたのだった。
食い違う現場と本店の認識
3月15日6時14分、格納容器の圧力がゼロとなった。つまり容器が壊れたと考えられた。同7時過ぎ、現地本部の入っていた建物が大きく揺れる。吉田所長は所員たちに放射線量が少ない地域への退避を命じる。
結果として、第2号機の原子炉格納容器は爆発を免れた。建物の揺れは第4号機の水素爆発によると推測されている。同機は運転休止中だったが、第3号機から漏れた水素が建屋内に充満したらしい。
第2号機の格納容器は上部の継ぎ目付近がひび割れたようになって、それによって内部の気体が外部に排出されて圧力が下がったと考えられている。ただし、その部分を直接確認するには至っていない。第2号機はその後1週間にわたって大量の放射能汚染物質を放出した。
吉田所長は「10人くらい昔から知っているやつ、こいつらだったら死んでくれるかなと思った。すさまじい状態だった。天の助けがないと、もっとひどいことになった」と証言している。
現場の認識と判断が生かされないままに、原発事故は危機一髪の状態にまで進行した。
「本店と現場に認識の差ができている。一番遠いのは官邸ですね」と、吉田証言が語っているのは、当時の菅直人首相の現地視察である。
今回のNHKスペシャルは過去のシリーズの成果も盛り込みながら、その継続の必要性を物語っている。それなしには、教訓は生まれない。
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