2024年11月22日(金)

教育の原点を考える

2016年6月20日

はじめ塾で行われた吉田さんの講話

『はじめ塾の夏期合宿を見学して』
咸宜園教育研究センター 吉田博嗣さん

 大分県日田市には江戸時代後期の儒学者廣瀬淡窓(ひろせたんそう、1782-1856)が創設した私塾「咸宜園」がありました。全国から約5000名の若者たちが入門した近世日本最大の規模を誇っていました。

 昨年4月、咸宜園を含む4つの教育遺産(水戸市の弘道館・足利市の足利学校・備前市の閑谷学校)で構成するストーリー「近世日本の教育遺産群――学ぶ心・礼節の本源――」が国内で初めて「日本遺産」に認定されました。江戸時代の豊かな教育が再評価されたのだと思います。

 咸宜園教育の特色は、年齢や身分、学歴を問わない「三奪の法」や毎月初めに試験の結果を公表する「月旦評」など、当時としては画期的な教育方法を取り入れた実力主義の学校でした。一方で、心の豊かさや習得した学問を社会で生かすことが大事であると説き、詩作の奨励を行うなど情操教育にも力を注いでいました。一人ひとりの個性を尊重し、実力主義を貫いた咸宜園は教育の近代化に貢献した塾として知られています。

池上秦川

 2010年、咸宜園跡に隣接して「咸宜園教育研究センター」が開設されました。そこに咸宜園で学び、かつ後輩の門下生の教育を担当した「池上秦川(いけのうえしんせん)」の子孫である池上眞平さんがご訪問され、私は寄宿生活塾「はじめ塾」の存在を初めて知りました。

 昨年7月に「はじめ塾」の夏季合宿を見学する機会を得たのですが、最初の印象は咸宜園の再現かと思いました。そこには教育の本質である「学ぶ自由」と「教える自由」が広がっていました。学ぶという行為は人間活動における普遍的な営みともされていますが、ここでの寄宿生活は子どもの自主性が重んじられ、咸宜園が目指した塾生による自治と通じるところがあると感じたのです。


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