咸宜園には「職任制」と言って塾生すべてに職務分担を与え、学校の自治を任せていました。塾主の代理で講師を務める「都講」や会計係の「大司計」、他にも保健衛生係や蔵書を管理する図書係、新入生の管理など運営上必要な役割はすべて塾生が担っていました。私の目には、はじめ塾にもそのような環境が整っていると映りました。与えられた役割を自ら考えて全うする。はじめ塾では先輩と後輩たちが協動して運営するシステムが子どもたちによって確立されていたのです。
中にはこのような環境に馴染めない子どもがいるのも当然のことと思います。しかしながら、そのような問題も自らで解決していく仕組みがはじめ塾にはあるように思いました。
寄宿生活の中でしか得られないもの
私は合宿の中で「咸宜園と廣瀬淡窓」について話をさせてもらいました。淡窓という人物や塾の特色だけでなく、師弟が寝食を共にすることの大切さを実践した咸宜園の話に共感してくれた子もいたのではないかと思います。はじめ塾のみんなが生活する姿、学ぶ姿を見て、自然体で生活することの心地良さを改めて痛感しました。江戸時代は豊かな学びの文化が発展した時代と言われていますが、このはじめ塾にも「豊かな学びの空間」が広がっていると感じました。木机に向かい勉学に励む子ども達を見て気付いた点があります。今の学校とは異なり机の向きが各々異なっていたことです。昔の寺子屋の学習風景と重なり印象的でした。
学問や知識の習得だけでなく、寄宿生活の中でしか得ることができないもの。淡窓の目指した理想の教育もそこにあったのかも知れません。はじめ塾には教育の本質的価値を読み解くヒントがあると考えます。
「はじめ塾での時間はこれからの人生の長さに比べるとほんのわずかな時間でしかありませんが、先生や友人と一緒に学び過ごした経験は強く心に刻まれることでしょう。皆さんは遠く故郷を離れて学問修養を志し、咸宜園に入門した青年たちと同質の経験をしています。他では経験することのできない貴重な体験を思う存分楽しんでください」が、私からはじめ塾で学ぶ皆さんへのメッセージです。