2024年4月19日(金)

教育の原点を考える

2016年6月20日

はじめ塾の二代目塾長・和田重宏さん

 江戸時代後期と現代では社会環境や子供や若者が抱えている課題や問題が全くことなるにも拘わらず、共通する理念があるのです。現代のはじめ塾と江戸時代後期の咸宜園の対比により抽出された共通する理念は、子供や若者がどのような時代においても生き抜くために必要な「変化をチャンスと捉え、これにチャレンジする気概と実力」の醸成を可能にするものだと言えると思います。

 私を案内して下さった咸宜園教育研究センターの方々との話は弾みました。もしはじめ塾と出会ってない私だったら、このような考察には至らなかったはずだと感じました。

はじめ塾三代目塾長・和田正宏さん

はじめ塾との関わりにおける私の工夫

 はじめ塾を恩返しの場とすることを三代目塾長と元二代目塾長が了解下さったので、はじめ塾で学ぶ子供達との楽しくかつ有意義な時間を共有しています。

 小さな経験しか持たない、かつ教育の素人である私にでもできる、子供達が私の人脈を活用して多様な人達と出会う機会を設けることは、子供達とはじめ塾にとっても価値あると考えて、これを実践しています。

 「”したたか”かつ”しなやか”に生き抜く力」を醸成し得る場を提供しているはじめ塾は現代の貴重な存在だと考えます。なぜなら”知識の習得”に重心を置いた現代の日本の学校教育のみではこの生き抜く力を修得するのは難しい、と考えるからです。

「個性豊かな味付け」に必要な出会い

 私は、「消化」と「個性豊かな味付け」の大切さを子供達と共有するよう努めています。

 まず「消化」についてです。毎日、私達は食べ物を頂いて生きています。私達には見えない体内で起こっている「消化」のプロセスにより、私達の命を維持しかつ活動させるために必要な栄養素にまで食物が分解されるのです。体は栄養素を吸収できますが、未消化の食物を吸収できません。「知識」は「食物」に似ていると思います。すなわち、「消化」のプロセス抜きの「知識」は我々の成長に繋がる本当の栄養素にはなりません。言い換えると「知っている」だけでは様々な状況に柔軟に対応できません。「知識」をいわゆる「知恵」に変換しておけば様々な状況に対応できる可能性が高くなるのです。学校のテストでは「未消化の知識」がある程度有効ですが、沢山の「未消化の知識」を無理して頭に詰め込んだ時の害は混乱です。

 「鵜呑み」や「中途半端な理解(分かったつもり)」の状態からの進歩やブレークスルーはあり得ないので、これは禁物だと考えます。

 ちなみに「知識」を「知恵」に最も効率的に変換する分解酵素は「何故の繰り返し」と「質問」だと考えます。しかし、その場で全て理解できない場合が多々ありますが、その時には疑問点を自分の引出しに入れておくことを奨めます。後日、腑に落ちる回答に出会えることがしばしばあります。

 次は「個性豊かな味付け」についてです。人の個性は千差万別なので、「私達の命を維持しかつ活動させる」ための食物との比較には無理があります。食物から得られる栄養素の数は有限ですが、人の個性の多様性は無限に近いかも知れません。もし各人が、各々の個性を充分に活かした人生を実現できれば、各人が充実感を味わいかつ各人の個性を反映した社会貢献をできるはずです。人が持つ千差万別のポテンシャルのスイッチをオンにすることが「個性豊かな味付け」です。そのためには、スイッチをオンにするきっかけに出会うことが必須です。

 本などから得る「知識」が「個性豊かな味付け」に有効な場合もありますが、やはり「人との出会い」がベストの機会だと思います。なぜなら五感(場合によっては第六感)を通して吸収した言葉では表現できないものがスイッチオンの良いきっかけとなる場合が多いからです。


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