ブルキナファソ見聞録

2016年6月1日

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岡田綾 (おかだ・あや)

JICA職員

1982年兵庫県西宮市生まれ。小学校6年生のときに阪神・淡路大震災を経験。2005年京都大学文学部社会学科、2007年同大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻修士課程修了。環境やコミュニティ防災について学ぶ。就職活動では、「その人自身のせいではないが、理不尽な境遇におかれてしまった人のために仕事をしたい」と考え、他の関心事項であった「途上国・国際協力」も満たす組織として、独立行政法人国際協力機構(JICA)を志望し、2007年入構。地球環境部、広報室などを経て、アフリカ勤務を希望し、2012年12月よりブルキナファソ事務所に赴任。

 発生当時、私はブルキナファソの国外にいたため、戻ることができたのは発生から数日後だったが、なお事態の収束には至っておらず、街が大統領警護隊に押さえられている雰囲気にあった。西アフリカ各国から訪れる要人との交渉もスムーズな決着には至らず、粘る大統領警護隊の武装解除を求めるため、正規軍のすべての部隊がワガドゥグに向かって国中から集結しつつある日であった。

 人数は圧倒的に少ないものの、一般の軍部隊とはまったく異なる装備を有し、相当な権力を持っていた大統領警護隊に対しては、国民も怒りと恐れの入り混じる感情を抱いていたように感じる。正規軍の首都集結は国民の大きな期待を背負っていたが、同時に、本当に首都で軍同士の武力衝突が起きてしまうのだろうか、という無言の不安をみんなが共有することになった。

 平行して進められていた西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)による調停が、紆余曲折を経ながらも落ち着き、ディエンデレ将軍がクーデター終結を宣言したのは、それから丸2日以上経過してからだった。しかし、状況を不服とする大統領警護隊の一部の兵士はその後の武装解除になかなか応じず、さらなる衝突と時間を要する結果となり、一連の事態がある程度落ち着いたと判断できたのは、クーデターの終結宣言から8日目のことである。

 この間、正規軍と大統領警護隊の協議結果がブルキナファソの最大部族であるモシ族の首長の前で署名されるという報道や、ディエンデレ将軍をはじめとする大統領警護隊のメンバーが赦しを請いに首長のもとを訪れたといった報道がなされ、伝統的首長の存在がこの国の秩序と他者尊重の念を守るうえで大きな意味を持っていることが改めて感じられた。

 いよいよこの国の新たな船出、という大統領選挙の実施直前に起きたこのクーデター未遂は、すべての人の怒りを買った。結果的に、大統領警護隊の解体へ向けて大きな舵を切ることになったため、この判断は国民に非常に歓迎されたものだったが、ディエンデレ将軍がクーデター終結を経て語った「我々のやろうとしていたことが国民に望まれていないことがよくわかった。失われた時間のことを思うと残念である」という趣旨の発言は、今聞いても怒りを覚えるものである。その後、このクーデターの一件でその対応ぶりが批判された様々な人を皮肉って新たな造語が生まれたが、「ディエンデレる」という動詞には、「とんでもなく愚かな行為をする」という意味があてられた。

なじみのカフェで起きたテロ

 当初予定より約1カ月半遅れて実施された大統領選挙の投票日は、心配された暴動・混乱もなく、ただ粛々と、本当に静かに過ぎて行った。

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