2024年12月11日(水)

ブルキナファソ見聞録

2016年6月1日

 今月、農業省が年次会合を開催した。昨年の成果をレビューし、今年の取組みや今後の方向性を省全体で議論する、いわば農業分野の大方針を明らかにする重要な会議である。例年3月頃までに開催されることが多かったが、昨年は9月のクーデター未遂により大統領選挙がずれ込み、新政権の発足が今年に入ってからになるなど、全体的な活動が少しずつ遅れ、この時期の開催となった。新政権が、発足直後の1月のテロを乗り越え、本省内の人事異動もほぼ終えて動き出したのはつい最近のことである。この会議が開催されるに至ったということ自体が、いつもと違って少し感慨深い。

大統領選挙投票日の朝。投票場所になっている小学校に集まる有権者。

生き残りをかけて?
大統領警護隊によるクーデター

 2014年10月に起きた市民蜂起(※)の後、この1年半の間に、ブルキナファソでは2015年9月のクーデター未遂、同11月の大統領選挙、2016年1月の新政権発足、同月のテロ、と目まぐるしく情勢が動いた。市民蜂起では、国民の意志が明確に示され、ブルキナファソの人々の誰もが「国を動かした」実感を持っていたと思う。それにより勝ち取った大統領選挙への道のりは、選挙を目前にして2015年9月のクーデター(未遂に終わっている)で延期を余儀なくされる。「(※)『国民が力を持った日 ブルキナファソの政変』2015年1月14日配信

 このクーデターは、コンパオレ元大統領の私設部隊と化し大きな批判を受けていた大統領警護隊(RSP)によるものであった。コンパオレ元大統領の失脚以降、大統領警護隊の処遇が、次期政権を選出するにあたっての争点の1つとなっていたのだが、少数精鋭・破格の待遇で甘い汁を吸っていた大統領警護隊にとっては、自分達の部隊解体の気配が色濃くなるにつけ、生き残りをかけた最後の手段に出るしかなかったのだと思う。表向きは、予定されている大統領選挙が、旧与党を排除したかたちになっていることを非難し、「より健全な選挙を実施すべき、今のままでは国内分裂を招きかねない」という理由での行動とされているが、大統領警護隊の解体の阻止が本当の目的だったのではないかと推察される。

 クーデターを首謀したのはコンパオレ元大統領の右腕と言われ大統領警護隊のNo.2だったディエンデレ将軍(当時の警護隊トップは元大統領と共に亡命)。2015年9月16日、閣議の行われていた大統領府に侵入し、暫定政府の大統領、首相、大臣複数名を拘束した後、大統領らの解放を求める市民への威嚇射撃や国営放送局の占拠などを行い、事実上のクーデターを宣言した。


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