都会に根を張る一店舗主義

2016年6月16日

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普茶料理は17世紀の日本に伝わった
平等主義で自由な気風のお精進

 そもそも普茶料理とは何だろう? その辺のところは、店のご主人で料理人の古川竜三氏に伺ってみるとしよう。

『梵』のご主人で料理人の古川竜三さん

 「普茶というのは、“普く衆人にお茶を施す”という意味で、黄檗宗の開祖、隠元さまが、京都の萬福寺を開いた時(1661年)に日本に伝えたお料理です。『喫茶去』(きっさこ)という言葉があるのですが、“まあ、お茶をおあがりなさい”というご挨拶で、そこに集まった同じグループの方々が同じ料理を楽しむというのが基本です。ですから、うちでは、同じグループの方には、同じお料理以外はお出ししないのです」

 京都のお寺さんでお馴染みの精進料理とは、大きく何が違うのだろう。これについては、仏教専門誌『全仏』の2015年5月号に、ご主人が寄稿された文面に、こう説かれている。 

 精進料理とは、曹洞宗の開祖である道元が、留学先の中国で学んだ料理から生まれたもので、現代であれば、大本山の永平寺で修行の本質としての料理が受け継がれているという。そして、こう続く。「一方、普茶料理は黄檗宗に伝わる精進料理で、中国文化の影響を強く受けています。精進料理が食を修行と見るのに対して、飲食平等の趣旨を持ち、食そのものを楽しむことにもウェイトが置かれています」

 道元が精進料理の精神を伝えたのは、1244年のこと。それから4百年ほどが経過した頃、中国から伝わった普茶料理には、これも隠元が伝えたインゲンマメ(一説には藤沢豆)、スイカ、レンコンといった目新しい食材も入り、肉や魚を模した擬製料理があり、胡麻油の香ばしさも加わった。古川さんが教えてくれる。

ゆじと呼ばれる揚げ物は、下味をつけてあり、つゆにつけずにいただく。海老を模したニンジン、さつま芋、コンニャク、扇型はそうめん揚

 「古来のお精進は、素材そのものを味わうという面が強いのですが、普茶料理は、そこに、もう一手間かける。中国の影響で油も使い、揚げたり、炒めたりもします」。時の食通たちが目を輝かせた様子が目に見えるようだ。そこで黄檗宗のお寺さんだけではなく、料理人や民間にも広まり、日本独自のアレンジも進んだ。これが、後の懐石料理にも影響を与えたのだという。また、隠元は、日本における煎茶道の開祖ともされている。先の『全仏』の文面はこう続く。

 「煎茶道は、当時の茶道(抹茶)の世界において作法などの形式が確立された半面、本来のおもてなしの心が形がい化された経緯を踏まえ、形式にあまりこだわらず、また当時の最新の中国文化であったことから大いに広まったとされています」

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